『
男女の怪』。なんとも物々しいタイトルではありますが、別に怪談や官能小説ではありません。解剖学者の養老孟司さん(1937-)と、タレントやエッセイスト、インタビュアー、またあるときは小説家として、八面六臂の活躍を見せる阿川佐和子さん(1953-)による対談本です。2006年、大和書房から刊行され、2009年に同社より文庫化されましたが、2019年現在では、どちらも絶版になっています。
養老孟司さんと阿川佐和子さん。お2人とも、対談本を多く出されています。阿川さんはご職業のひとつがインタビュアーなので言わずもがなですし、養老さんも、ベストセラー作家として有名になる前(20世紀のうち)から、吉本隆明や森毅など(いずれも故人)数多くの著名人たちと共著を出しておられました。つまり対談の骨法や作法を熟知しているお2人なわけです。
だから対談の流れはスムースそのもの。淀みなく、破綻なく、ときにおかしみを含み、お話が転がっていきます。もちろん、これは口述筆記を担当した編集者の腕というのもあるのでしょうが。
対談のきっかけは、編集サイドから養老さんに、男女をテーマにして阿川さんと対談してほしいとオファーがあったことだそうです。養老さんにはそれ以前から阿川さんと面識があったこともあり、承諾。このテーマ自体は、橋田壽賀子さんの『ひとりが、いちばん!』など、いわゆる「女性本」を多く出版してきた大和書房らしいテーマと言えるでしょう。
阿川さんには、そのテーマは別に不自然ではなかった。2017年に結婚するまで、阿川さんは「結婚できない女」の代表的存在でした(あくまでマス・メディア上において、ということですが)。つまり「男と女」を語るのは、彼女の売りのひとつだったわけです。
ところが、養老さんは既婚者ですが、ご自身が本書の中でおっしゃっているように「男と女」は不得手とされる方です。だから勢い、虫好きの方ですから、生物学的な「オスとメス」を語ることになる。
両者のこの不均衡が、本書の面白味に繋がっている。私はそう思います。養老さんはたくさん著作を出されていますが、ご自身が苦手なテーマでの本というのはそうそうないはずです。そこへ、当時「結婚できない女」であり、対談のプロでもある阿川さんが切り込む。養老さんは、ときに正面から受け、ときに老獪にかわして逃げます。そういったやりとりが本書の妙味なのです。
以下、少し引用してみましょう。
阿川 |
最近は「男は黙ってサッポロビール」じゃなくて、おしゃべりな男がモテるようになってきてますよね。(中略) |
養老 |
でも、夫婦は古くなるとあんまりしゃべってないでしょ? |
阿川 |
長年一緒にいると、しゃべらなくてもわかり合えちゃうことが多いんでしょうね。 |
養老 |
そうそう。でも、このあいだ、女房が外から家に入ってきて「あなた、あそこのあれが壊れてるわよ」って。「お前、いくら何でもそれじゃわかんないよ」って言ったんですけど(笑)。 |
阿川 |
アハハハハ。 |
養老 |
それで、外に飯食いに行こうってことになってさ。女房が「越後屋へ行こうか」って言うから、「うん、行こう」って返事したら、娘が「越後屋? そんなお店、ないじゃない」って。たしかに「越後屋」はないんです。でも、「川越屋」っていう蕎麦屋があって、それを女房が「越後屋」って言ったんだと僕にはわかってるの。 |
阿川 |
いいなあ(笑)。 |
養老 |
そういう言外のコミュニケーションのほうがはるかに大事なんだ。でも、今の若い人はそういう生活をしてないってことでしょ? だから、いっぱいしゃべらなきゃならないし、おしゃべりな男がモテるんです。 |
阿川 |
レストランでカップルを見てるとわかりますね。これは夫婦じゃないなっていうのが。男の人が女の人に気を遣って話題を探してるのは絶対夫婦じゃない。 |
養老 |
たぶん、当たってますよ(笑)。だけどそれやってると、男は疲れちゃうからね。夫婦だったらやらない。 |
阿川 |
じゃあ、おしゃべりな男は増えてきてるけど、男は口下手でいいっていう話なんですね。 |
養老 |
いや、阿川さんが上手に口説かれたことがないっていう話でしょう。 |
阿川 |
どうしてそういう結論になるの!?(笑) |
(同書、2006年、p93~96)
本書とは全然関係ないんですが、以前、武道家の内田樹さんが養老さんのことを「邪道の師匠」と評していました。なんとなくわかりますね。