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『不倫と南米』
吉本ばななの名刺代わりになる短編集?

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吉本ばなな(1964-)は、昭和の日本を代表する思想家、批評家であった吉本隆明の次女として東京に生まれる。1987年に「キッチン」で小説家としてデビュー。彼女の独特かつ新鮮な持ち味は熱狂的な支持を集め、彼女は一躍「時の人」になった。彼女の作品は国内外で高く評価され、英語やイタリア語、フランス語、中国語など、様々な国の言葉に翻訳された。『不倫と南米』は2000年3月に刊行された短編作品集であり、彼女の短編小説を7編収録している。

あくまで大雑把に言えばの話だが、80年代は「女性の時代」だったと思う。女性が主役であったというわけではなく、旧来の「女性のあり方」から現代のそれにシフトする、転換期のようなものではなかったかと。明治から昭和にかけて、女性は社会の中で「あってないようなもの」で、日蔭の存在であった。言い換えれば、日本の社会は男社会そのものであった。それが旧来の「女性のあり方」で、そこから「女性だって社会を構成する立派な一要素だ」の声は、当然上がってくる。その声が(ある程度)浸透したのが、80年代という時代だったのではないか。

80年にデビューした松田聖子が示すように、80年代は女性が奔放な欲望を開けっ広げにしても人々に許容された時代だった。そして80年代を締め括る89年には、社会党(当時)の土井たか子が「マドンナ旋風」を巻き起こす。昭和末期から平成初期にかけてはそういう「女性の台頭」の時代であり、そこで小川洋子や吉本ばなな、角田光代など女流作家が集団的に台頭してきたのは(別に彼女たちが徒党を組んで文壇に乗り込んだわけではないが)、時代の趨勢の必然だったのである。

である以上、吉本ばななには「男と女」や「女性のあり方」というテーマが、作家生活を営む上で大きくのしかかる。それは彼女がフェミニストかどうかという次元の話ではない。世の中は「吉本ばななが『男と女』や『女の生き方』をどう切り取り、どう描くか」を無意識的に期待したであろうし、彼女はそれに応えなくてはいけなかったであろうということである━━少なくとも彼女のキャリアの初期に関しては。

その意味で、本書『不倫と南米』は、吉本ばななの名刺代わりになり得る一冊ではないかと思う。タイトルからもう一目瞭然、ここでは7通りの「男と女」が描かれている。しかも短編集なので、長編小説に比べて読みやすいという人も、多分におられるはずである(逆に「短編なので物足りない」とこぼす人もおられようが)。もちろん吉本ばななの持ち味もしっかり封入されている。

彼女の持ち味とは何か? 私は小説家ではないので断言はしかねるが、テーマが「不倫」や「男と女」であれば、どろどろした物語はいくらでも書けるのではなかろうか。そんな気がする。それでなくとも、自然主義や私小説が一時期幅を利かせたせいで、日本文学は「どろどろしている」との印象を持たれがちである(そういうテイストを求めることが悪いとまでは言わないが)。

しかし、彼女はそうした「どろどろ」に寄りかからずに物語を進める。ドライというのではないが、風通しは良く、気持ちよく読める。これは彼女のシグネチュアと言っていいのではなかろうか? ファンの間で「ばななワールド」と呼ばれる世界(空気感)は本書にもしっかり出来しゆつたいしていると思う。

作品情報

・著者:吉本ばなな
・発行:幻冬舎







 

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