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『遺言。』
養老孟司、80歳、考える。

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みなさん、こんにちは。本日は緊張しております。いえ、いつもの通り進めるだけなんですが、今回取り上げるのが、私が知性面で師と(勝手に)仰ぐ養老孟司さんの『遺言。』(新潮新書)なもんですから。

まず、数ある養老さんの著作の中から、なぜ『遺言。』なのか。さしたる理由はありません。養老さんの著作の中で目下一番新しいからというだけです。中で触れられていることにしても、たとえば異同問題など、いつも語られているテーマがほとんどですし。

異同問題とは何か。簡単に言うと、人間の意識は「違う」を「同じ」にするということです。たとえば三匹の仔豚が目の前にいるとして、彼らは一頭ずつ違うわけです。当然ですね。でも私達の意識は彼らを「仔豚」として一括りにしてしまう。感覚は違いを、意識は同一性を志向する。これが異同問題です。

異同問題についての養老さんの詳しい論考を読みたいという方は、『養老孟司の大言論Ⅱ 嫌いなことから、人は学ぶ』(新潮文庫)をご高覧下さい。

この異同問題の説明で何となく勘付かれた方もいるかも知れません。この本、『遺言。』と題されていますが、情緒的、感情的なメモワールなどではないのです。目次をざっと見渡すと「池田清彦の挫折と復活」とかありますけど、涙ぐむ想い出話などでは断じてありません。「楽しかった学生生活」とか、そういった情緒性を期待すると、まぁ一刀両断に裏切られるでしょうね。

これは80歳になられた養老さんの論考です。それは念頭に置いておいた方がいいと思います。

また、先の説明から「何だか哲学っぽいな」と思う人もいるかも知れません。しかしそこに関しては「はじめに」にて「哲学なんて、やったこともないし、やろうと思ったこともない。(略)『先生の哲学は』という人は、哲学とはいかなるものか、それを知っているはずである。私は知らない。教えてもらいたい」(6頁)と、先手を打つ形で釘を刺されてしまいます。

なかなか中身に話が移れませんね。でも中身にしたって、私は勝手に彼を師匠と仰いでいるわけですから、気軽にどうのこうの言えるわけがありません。自らの師匠について、あれこれグダグダ批評するなんて、身の程知らずも甚だしい。中身なんて、実際に読めば済むことです。なので、ここでは割愛します。悪しからず。

とはいえ、それだけだと「なんやねん」って話ですから、以下、指標(みたいなもの)を、僭越ながらひとつ。

建築家の隈研吾さんとの共著『日本人はどう死ぬべきか?』(日経BP社)で養老さんはこう語られました。「変人の周りには、変人が集まるようになっているんですね。僕と面識のない人も、勝手に僕の弟子だと言っている。(略)要するに、日本の世間に対してちょっと距離のある人が集まってくるんだね」(44~45頁)と。

ぐうの音も出ませんね。

というわけで、もしあなたが「いや、私は世間に馴染んでウマくやってるよ」とおっしゃるのであれば、おそらく『遺言。』を講読する必要は、取り敢えずないのかも知れません。少なくとも、差し当たっては。


作品情報

・著者:養老孟司
・発行:新潮社(2017)





 

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