日本語 | English

■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







Atom_feed
平等院
平等院の鳳凰堂は「有り難い」

LINEで送る

世は「キャッシュレス」らしい。政府がそういうのを推し進めているという。つまり、できるだけ現金を使わずに、カードやデジタル機器で決済をしろと。しかし、個人的にはカード払いは「結局、俺の収支は今どうなってんの?」になりがちなので、積極的にはしたくない。スマホ・ペイに関しては、そもそもケイタイ端末を持っていないので無縁もいいところである。時代に乗り切れていない。うん知ってる。むしろ「それはわざわざ乗る価値のある時代なの?」とすら思っている。そんなわけで相変わらずのニコニコ現金払い。今日も二つ折りの財布には小銭がジャラついている。

「なんだ? エッセイスト気取りで自分語りか?」━━もちろん違う。要は、私は常にキャッシュ(現金)と共に生活しており、その意味で私が最も近しく感じる寺院は、平等院になるということである。ご存じのように、十円硬貨には平等院鳳凰堂が刻まれているし、2004年以降の一万円札には、鳳凰堂の鳳凰が印刷されている。もっとも、2024年発行開始予定の新一万円札では鳳凰が消え、代わりに東京駅がプリントされると仄聞するが。

お金の話はどこか楽しい。しかし、記事の定型的順序として、まずは「平等院とはなんぞや?」を説明せねばならない。心苦しいところである。鳳凰堂がなぜ貨幣に意匠として使われたのかについては改めて後述する。



平等院鳳凰堂・中堂

出典:Uji Byodo-in Phönixhalle 17.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2018年4月13日)


平等院とは何か? 現在でいう京都府宇治市(京都府南部と思って頂きたい)に建立された寺院である。平等院の開基は1052年とされており、その翌年の1053年に、阿弥陀堂として鳳凰堂(建立当時は単に「御堂」と呼ばれていた)が建てられた。もともと平等院は、藤原道長の別邸として用いられていたが、彼は1028年に他界し、のち、彼の息子である藤原頼通がその別邸を寺院に改造した。それが平等院の始まりであるという。

寺院である以上、どこかの宗派のお寺なのだろうか? あにはからんや、平等院は特定の宗派には属していない。じゃあどうやって管理、運営されているのかといえば、17世紀以来、最勝院(天台宗)と浄土院(浄土宗)が一年ごとに交代で管理しているのだという。

それにしても、どうして鳳凰堂はここまでありがたいものとして目されているのだろう? 鳳凰は古来よりアジア圏において神聖な鳥と目されていた。それはそうであるが、現代においても十円玉と一万円札に意匠として使われている以上、やはりそのありがたみは別格な感がある。

歴史的史料は「平等院には鳳凰堂(阿弥陀堂)の他にもいくつかの堂塔が建てられていた」と語る。平安時代には、天皇が譲位して上皇になったら後は出家して法皇になるのが当たり前だった。つまりそれくらい仏教が大ブームだったわけである。勢い、権力者はこぞって大規模な寺院を建てるのだが、平等院もその一つだった。しかし、平等院内にあった数々の堂塔は、歴史上の数々の戦災により、姿を消した。史料によると、本堂、法華堂、五大堂、不動堂などが平等院には(もともと)あったとされている。

つまり鳳凰堂とは、平等院の中にあって「唯一生き残ったお堂」なのである。なるほど。そうした歴史的経緯を考えれば、ありがたみは格別かもしれない。ありがたいとは「有り難い」と書くが、それは「なかなか存在しない」を意味するわけだし。



鳳凰堂と浄土式庭園

出典:Phoenix Hall.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2016年10月12日)


鳳凰堂がありがたいのはわかるが、それがなぜ十円玉に意匠として用いられたのか? 順を追って話をする。1951年、GHQがまだ日本を占領していた頃であるが、この年の6月、鳳凰堂は国宝に指定された。そして同年、十円硬貨の製造が開始される。十円は、現在では大した金額ではないと思われているかもしれないが、それは1960年代(つまり高度経済成長期)以降の価値観で、1951年当時における十円玉は、硬貨としては最高額だった。つまり、当時の最高金額に相応しい建物として、「国宝に指定されたお堂」が選ばれたのである。

と、ここまではわからなくもない。しかし2004年以降、一万円札に鳳凰像が用いられた理由となると、これは空漠としていてよくわからない。日本経済新聞によると、2004年当時の日本銀行総裁、福井俊彦は、なぜ一万円札に鳳凰像を用いたのかという問いに対し、こう答えた━━「人々に幸せや喜びをもたらすという伝説の鳥が、お札になって世界中に流通すれば素敵だと思ったから」(2014年11月14日付)

漠然としている。要するに「なんとなくの気分」でそうなったのだということか。なるほど。ということは、2024年以降の新一万円札に東京駅が印刷されるのも、やはり「なんとなくの気分」を反映してのことなのだろう。それはどんな気分なのか? おそらく「首都としての東京が面目を失いつつある」という危機感ではないかと愚考する。東京は、国内外においてそのプレゼンスを低落させつつある。「違う。そんなことないぞ、東京は立派な町なんだ。なんたって日本の首都なんだぞ」━━という虚勢がなければ「全国流通する最高額の紙幣に東京駅」は有り得ないだろうと。






 

東慶寺
鎌倉の世から縷々伝わるフェミニズム?

平間寺
有り難い、神奈川の「厄除けスポット」