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■ 11月30日から12月30日にかけて、のど飴をフィーチャーします







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中尊寺
岩手は平泉にて、ピースピース!

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こんにちは。本日のお題は「中尊寺」という、岩手県平泉町にある、天台宗のお寺です。天台宗といえば、関西人だと滋賀県の延暦寺あたりがパッと思いつきますが(思いつかなくても問題はありません)、延暦寺と異なり、ご本尊は釈迦如来なんですね。ちなみに延暦寺のご本尊は薬師如来。

「中尊寺ねぇ、なんかイメージつかねぇなぁ」「名前だけは聞いたことあるけど実際に行ったことはない」という方も多数おられるかと思います。たぶんですが、テレビや雑誌で中尊寺を扱う場合、多くは「金色堂」がメインになっていると思います。あの、扉から床まで、何から何までキンキラキンの金箔貼りの建物です。

なぜあそこまで金箔貼りなのか。



ときは平安後期。平安の世の都(中央政府)といえば現在の京都ですが、何せ電車も飛行機もない時代のことですから、岩手だとか東北地方にまで目を配らせるなどはなかなか難しかったんです。「国司」という、中央から派遣される官吏などの制度があることはあったんですが、これがまたなかなか。

そんなわけで、東北は奥州藤原氏という豪族が統括を任されていました。この奥州藤原氏の初代当主が藤原清衡。清衡は50歳を過ぎたころに、釈迦如来と多宝如来をご本尊とする「多宝寺」を建立したんですが、これがのちに中尊寺とあいなったわけです。



この時代の東北地方には北上山地(北上さん家じゃないですよ)という大金脈がありました。青森から宮城にいたる北上山地では砂金が産出され、その産出量は日本一を誇りました。そんな大金脈ですから、表向きは朝廷の直轄領となっていたんですが、相次ぐ戦乱により工夫などは引き上げ、事実上、奥州藤原氏の管轄下にあったと思われます。

清衡は大量に産出される砂金を使い、平和を祈る目的で、豪華絢爛の仏堂を造営。そこでは、戦乱で落命したたくさんの人々が追善されました。ピラミッドのそれと同様、自らの栄華を後世にも知らしめんとして、取り敢えず表向きだけ仏堂を装い造らせた、と邪推する向きもあるかもしれません。しかし実際の所、清衡にしてみれば、いつ殺されるか判らない緊張感と不安、加えて常に死体がごろごろしている血みどろの戦乱の環境に50年間も身を置き続いたわけです。そりゃ世の平静の一つも祈りたくなるのではないでしょうか。

壇内には清衡や、その子にあたる基衡のミイラが安置されているそうですが、自らを含むすべての戦乱の犠牲者を、清衡は追善したのだと思います。







 

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