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江島神社
大切な人と訪れた際には

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神奈川県藤沢市に湘南海岸という景勝地がある。チューブやサザンの歌曲でも有名だから、関東以外の地方に住んでいる人にもいくらか耳馴染みがある地名ではなかろうか。海岸だから、夏場は水着(あるいはウェットスーツ)の男女で溢れる。今では関東有数のデートスポットでもある当地は、一昔前は暴走族頻出エリアとして名を馳せたと聞く。今はどうなんだろう。なにかと物価高なこの御時世、よほど経済的に余裕のある若者でないと、そうそう暴走行為にうつつを抜かしていられないように思えるけど。

さて、その湘南海岸の一角に、ぽつんと浮かんだ陸繋島(陸地と繋がっている島)がある。これが江の島で、表題になっている江島神社はそこに建てられた神社である。



江島神社の瑞心門

出典:Enoshimajinja -05.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2011年3月27日)


浅野安太郎が著した『江之島』(江島神社、一九四一年)によると、江の島はそもそも「辯才天女の靈體」であるという。靈體とは霊体の意。つまり江の島は、七福神の紅一点として有名な弁才天の化身とも言えるのである。

民話によると、その昔、当地では五つの頭を持った龍が悪行三昧を働いていたという。子供を食べるわ、土砂崩れを起こすわ、疫病を流行らせるわで、地元民は「どうにかならんものか」と難渋していた。近くに住むやたらタチの悪い輩に迷惑している住民みたいに。そこにもちろん、救世主が現れる。どこからともなく弁才天が地震と共に現れたのである。その美麗な姿に龍は一目惚れ、求婚するものの、これが一蹴される。弁才天は、龍がこれまでに働いてきた悪事を並べ立て、非難したのである。龍はしょんぼり反省し、心を改め、民衆に奉仕するまでになったという(ずいぶん極端な大転回ですね)。

さすが弁才天だけあって、弁の才で難事を解決したということだろう。ちなみにこの民話に龍が出てきたように、当地には龍神信仰が根強くあったという。そのためか、小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅(江の島に一番近い駅)は龍宮城を模した建築になっている。龍宮城は乙姫様が海の中に領する城。昔の日本では「海といえば龍、龍といえば美女」だったのかも知れない。江の島が弁才天(の一部)である以上、龍による災いは少なくとも島周辺では防がれるということになるのだろうか。



片瀬江ノ島駅の外観

出典:Katase-Enoshima Station 2020-03-22 (1) sa.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2020年3月22日)


もっとも、だからと言って江島神社で弁才天が祀られているわけではない。というのも、弁才天はもともとヒンズー教の神様が仏教と融合して成立した神様である。つまり弁才天を祀るのは神社ではなくお寺の仕事。神社は神道に基づく宗教施設で、神道は「皇族真理教」みたいなものだから、そこで弁才天を祀るわけにはいかない(江島神社には宮が三つあり、奥津宮は多紀理比賣命を、中津宮は市寸島比賣命を、辺津宮は田寸津比賣命を、めいめいに祀っている。いずれも女神様)。



江島神社の中津宮

出典:Enoshimajinja -02.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2011年3月27日)


と、こういうカタい話になるのは明治に入って以降のことで、それ以前は江島神社でフツーに弁才天を祀っていた。いわゆる「神仏習合」が当たり前だったから、それで特に不都合もなかったのだろう。明治に入って国から神仏分離の命令が下ると、江島神社も神道に回帰。上意下達的に弁才天信仰はストップとなったみたいである。

言い伝えによると、江島神社の創建は六世紀半ば。当初は神道の一派として、江島明神なる神様を奉斎していたらしいが、やがて仏教が巷間でドミナントになってくると、弁才天信仰がメインになったという。こういう話を聞くと、主体性がそんなにないというか、何を祀るにしろ成り行き上のことなんだよなという感じが伝わってきて、気持ちが楽になる。冷やかしているわけではない。信仰なんて(少なくとも日本人の多くは)感性主体でするもので、ロジックでするものではないはずである。だったらある程度いい加減でいいじゃないかと思うのである。異論はあるかもしれないけれど。

江島神社が本来的な神道に回帰したのが十九世紀。ということは、神社にしてみれば弁才天を祀っていた歴史の方がずっと長いはずである。だから現時点での建前としては「弁才天を祀っていない」になるけれど、神社には裸の弁才天像(通称、裸弁天)がご宝物として大事に保管されていたりする。でもそれにしても女神様のヌード像というのは凄いですね。信仰心が強いのか煩悩が強いのか、今一つよく分からないですが。

弁才天はその美貌で龍を惑わせた。とはいえ、龍でなくとも美人に心惑うのは男の本道である。事実、江島神社の信仰も、長い歴史の中で右往左往してきたと言えるわけで、そういうあり方こそきっと本来的なのである。だからこそ、当地はデートスポットになるのだろう。デートなんて、お互いに心惑わされてなんぼのものだから。そういうわけで、大切な人と江島神社に訪れた際には、どうぞ心ゆくまで惑ってください。






 

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