以前、金閣寺こと鹿苑寺をフィーチャーしたことがある。どんなことを書いたのか? 詳しい内容は覚えていないけど、取材に行ったのが真冬で、金閣寺に雪が積もっていたことはよく覚えている。当時はパンデミック前だった(インフルエンザとかは流行っていたのかもしれないけど、マスクを着けている人はそんなにいなかった)ので、修学旅行や観光なのだろう、ツーリストが溢れんばかりにいた。個人的には人混みは苦手なのだけど、若くて可愛い女性も多くいたから、まぁ比較的コンフォタブルに過ごせたとは思う。何やってんだって話だけれども。
私の雑感はともかく、金閣寺があれば当然「銀閣寺」もある。しかしそういうお寺があること自体は知っていても、いざ銀閣寺についてとなるとノー・アイディアだという人が多いのではなかろうか。かくいう私もさっぱりである。もちろんそれは、銀閣寺に落ち度があるとかではなく、「一般的には金閣寺より銀閣寺の方がマイナーである」というだけのことだが。
そんなわけでここでは銀閣寺こと東山慈照寺について述べる(そう、金閣寺が正式名称ではないように、銀閣寺も愛称なのである)。
慈照寺の観音殿(銀閣)
出典:Ginkakuji Kyoto03-r.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2012年10月7日)
東山慈照寺━━通称「銀閣寺」は、室町幕府八代将軍=足利義政によって一四九〇年、今の京都市左京区に造営された寺院である。宗派は禅宗の一つ「臨済宗」の相国寺派で、ご本尊は釈迦如来。要するに、十五世紀末に時の権力者が建てた古刹なのであるが、義政は金閣寺(鹿苑寺)を開基した足利義満の孫にあたる。だから、義満が開基した鹿苑寺が金閣寺なら、義政の慈照寺は銀閣寺であってもおかしくないと考える人もいたのだろう、当寺は江戸時代に銀閣寺の愛称を得る。それはそれでいいのであるが、問題は「足利義政とはどういう人物だったか」である。それを語らずして、銀閣寺とはどのような寺かを語ることは難しかろう、と私は思う。
と言っておいてナンだけれども、足利義政を語るのに贅言は要さないだろう。義政は「不遇の人」の一言で形容され得る人物であろうから。
彼は六代将軍の五男坊として一四三六年に生を受けた。本来なら、家督を継ぐような立場ではない。事実、義政は幼少の頃から「ゆくゆくは出家して僧侶になる」を前提に育てられたという。しかし、なかなか想定通りに進まないのが世の常で、彼の父親や兄に不幸が相次ぎ、一四四九年に征夷大将軍の座が彼に舞い込んでくる。このあたりの成り行きは平安時代末期の後白河天皇を思い出させるが、将軍就任当時の義政は数え年で十四歳である。若過ぎる。幼帝とまでは言わないものの、とても権力者には向かない年齢だろう。もちろんそれは誰もが承知していて、彼は「お飾りの将軍」として遇されたわけである。
室町幕府は足利家をトップに据えていたものの、基本的にはいくつかの有力家による連合体制だった。それで将軍が「お飾り」になれば、当然、足利家以外の家は「これは絶好のチャンスだ」と勢力拡大を考える。それで義政が将軍に就いていた一四六七年には、応仁の乱という有力武家同士の戦争も起こった。名目だけの将軍である義政は、それをどうにもできない。内戦を停めるだけの圧力が彼には備わっていないのである。だから内戦は十一年の長期に及んだのであるが、このあたり、今の形骸化した国際連合に似ている気もする。
義政だって足利家の男子として生まれたのだから、政治に意欲がなかったわけではない。こうなっちゃった以上は仕方がない、なんとか善処しよう。そんなふうに思いはしただろう。しかし、名目だけの将軍として政界に担ぎこまれた彼には、政治的な力が宿らない。だから何をやろうとしても上手くいかず、次第に政治に対する意欲を失ってしまう。そのへんは院政時代の後白河法皇とは正反対で、それゆえに義政の「不遇」は浮き彫りにもなる。
かてて加えて、彼は奥さん(正室)とも不仲だったと伝えられる。彼の正室は公家の生まれの富子という強気な女だった。なにしろ、義政との間に生まれた子供が生後間もなく夭逝した際には、義政の乳母が呪いをかけたせいだというトンデモなクレームをつけ、彼女を流刑に処したような女である(乳母は途中で自殺したという)。かような強権的な人だからか、蓄財や資産運用には長けていたらしいのだが、夫婦関係は冷え込む一方だったのだろう。応仁の乱後、義政と富子は別居状態に至る。
その「不遇の人」足利義政は一四九〇年一月に物故する。そう、彼は銀閣寺を創建したものの、完成を待たずして亡くなったのである。なんだか石川啄木を思わせる最期だが、そういえば啄木にも「何をやっても上手くいかない人」という側面があった。銀閣寺は、一般には東山文化に代表される「わびさび」がある建物と評されるが、開基した義政の人生を考えると、そりゃ「わびさび」が宿っても無理はないよなぁと、つい思ってしまう。苛烈な心労やストレスにさらされ続けた人が求めるのは、豪華絢爛な意匠ではなく、落ち着いた佇まいだろうから。