まぁ法隆寺と言えば、五重塔だとか聖徳太子像だとか、いろいろあるわけですけれども、正岡子規が詠んだ「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句が、差し当たり一番有名かも知れません。あの人、柿が好きだったみたいですね。いや、会ったことは、もちろんありませんけど。
しかし法隆寺と言えば、何と言っても世界最古の木造建築物なわけですよ。どれくらい古いか。『日本書紀』によると、聖徳太子は605年に斑鳩宮に引っ越したそうですが、この斑鳩宮の近くに建立されたのが斑鳩寺、現在の法隆寺になります。
法隆寺の創建は、『上宮聖徳法王帝説』によると607年だそうです。玄奘三蔵(三蔵法師)がインドから経典や仏像を持ち帰り、それらを保存するために長安近郊に大雁塔を建立したのが652年。その45年も前のことですよ。いやはや大昔の話ですね。
でもね。別に当時の材木がそのまま平成の現在も使われているなんてことはないんです。傷んだ部材を部分的に取り替え、それを繰り返して現在まで残っているのです。つまり部分的な修繕が比較的容易に出来るということが、法隆寺が「世界最古の木造建築」足り得る最大の要因と言えるわけです。
ちょっと建築の話になりますが、これは一体成型のコンクリート建築にはない美点なのです。コンクリートで建築物を成型する場合、多くは型枠にコンクリートを流し入れて形を造る方法が採用されます。しかし、この方法で造られたコンクリート建築においては、部分的に材料を取り替えるなどは決して容易ではありません。
もっとも、すべてのコンクリート建築がそうだと言うのではありません。たとえば、2013年に新規開場した東京の歌舞伎座は、建物としては明治時代の初代から数えて第5期(5代目)にあたりますが、あれは現代のテクロノジーを駆使して、鉄骨を使いながらも木造に近いやり方で造られています。だから部分的な修理がやりやすい。そういう建築は、21世紀の今ならばありえる。
けれどそういった美点は、はるか昔、聖徳太子の時代の建築にもともとあった美点なのです。建築とは、言うなれば人が生きるステージです。それが人の営みのためにある以上、継承というのが自然と問題になる。部分的に修理ができれば、建築物の継承もしやすいでしょう。
それはこうも言えます。現在の日本では世代間の断絶が様々な場面で起こっていますが、その一因は継承しにくいコンクリート建築を「生きるステージ」として採用してきたことにあるのではないかと。
法隆寺は、607年以降、脈々と受け継がれてきた「ステージ」でもあるわけです。そこには現代を生きる私達が失ったものが、もしかしたらまだ息づいているのかも知れません。というところで、本日はここまで。