日本語 | English

■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







Atom_feed
茨木神社
大阪の衛星都市の片隅で見たブラックネス

LINEで送る

茨木神社? なんだそりゃ。聞いたことがない神社だけど。そう思われる方が大多数であろうことは想像に難くない。私の地元は大阪の郊外というかベッドタウンというか、まぁそのような町であり、そこでの(一応)代表的な神社になる。しかし、ローカルもローカルなわけで、まぁ全国的な知名度などは望むべくもないだろうなと、かように考える次第である。

なんだ、ただの地元びいきか。そう思われても仕方ない。でも地元民ならではの伝えられることや経験談もある。末尾にはそれを、つまり神社の由来だとか文化的価値だとかには直接関係のない、私のごくパーソナルな(茨木神社にまつわる)経験を語ろうと思っている。遠方の方には、こちらのほうが、もしかしたら参考になるかもしれない。

一応、どういった神社なのかを簡単に説明しておこう。創建は807年。結構大昔じゃないか。そんな古かったのか。もちろん、建物が当時のままであるということは物理的に有り得ない(それだと危なすぎて誰も近付けない)。何度か建て直しはおこなわれている。



茨木神社 拝殿
出典:Ibaraki-jinja, haiden.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2018年2月14日)

そんな昔からある神社なら、織田信長の(キリスト教の擁護に伴う)社寺破壊で結構な被害を受けたんじゃないか。歴史に明るい方にはそう思われる向きもあるかもしれない。

しかしあにはからんや、織田は牛頭天王を自分の守護神としており(根っからの無神論者ではなかったみたいである)、牛頭天王を祀った社寺は破却の難を逃れていたらしい。そこでこの神社も号を「牛頭天王社」に改めた。それゆえ破却はされなかったと言い伝えられている。見てきたわけではないので本当かどうかは知らない。

正面から入る。石畳がずらっと奥のほうまで続いており、奥には拝殿がたたずんでいる。途中で右手に門(東門)が見える。どうやら昔、茨木城という城があって(今はもう城の面影などどこにもない)、それが(1616年)廃城になったときに門だけ移築した、その門らしい。門だけ移築することにいったいどんな意味があったのだろう。現代に生きる私には見当もつかない。



茨木神社 東門
出典:Ibaraki-jinja, higashimon.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2018年2月14日)

これからの時期(晩冬から初春)にかけては、境内の梅苑なども見所と言えるかもしれない。梅苑というのは、紅梅、白梅などがおよそ数十本植わっているゾーンのことである。

この神社も多分に漏れず、大晦日の夜は二年参りのため、夜店が立ち並ぶなどいつもより賑やかになる。

十代中盤の頃、大晦日の夜に、友人と茨木神社を訪れた。何がなくても楽しい年頃である。神社内、ぎゅうぎゅうの人混みの中、並んで除夜の鐘を待ちながら私たちは談笑していた。0時まであと少しという頃だったかと思う。突然、後ろから男の怒号がした。どかんか、こらぁ。振り向くと、複数のチンピラが人混みを散らして入ってきていた。何人かは化粧の濃い(当時で言えば『恋のから騒ぎ』に出演していそうな)女を連れていた。その後ろから、親分なのであろう老人が、着物姿でのそのそと歩いてくる。

たぶん暴力団なのであろう。私はケンカも暴力も極力ごめんという方針なので脇によけた。うわぁ、本物だぁ、と思いながら。しばらくするとその暴力団はお参りが済んだのか、夜店の一角の飲み屋を占拠して騒いでいた。少年だった私の心には、ひたすら悪い後味が残った。今でも残っている。それ以来一度もこの神社には参っていない。

パーソナルな思い出をもうひとつ。この神社の出店で何度かベビーカステラを買ったことがある(直近は2017年の正月だったと記憶している。参拝はせずに、買い物にだけ行った)。いずれも中がべちゃべちゃの、つまりは焼けていない状態のベビーカステラだった。






 

春日大社
鹿を伴う、あをによし奈良の古社

近江神宮
滋賀県大津市にて、天智天皇を祭る