あらかじめ断っておきます。私は建築に関してはドがつく素人ですから、金閣寺に使われた建築技法がどうだとか、建築工学の見地から美醜を論じるだとかは、まずありません。そんな講釈できませんし。あくまで、一般生活者の視点から見た金閣寺というところです。
「素人が何を言うか」と思われるかも知れませんが、いいじゃないですか。中島みゆきが唄ったように、誰だって人生は素人ですけど、それなら生きるのは無駄だろうとはならないでしょ。素人でありながら人生について考えたり論じたりするのは、私達の常です。私達は、素人だからこそ考えたり論じたりするのではありますまいか。
話を金閣寺に戻します。とはいえ、ここで金閣寺が持つ歴史などにノーマルに触れても面白くも何ともありません。なので、話を逆、つまり現在的視点から遡る形で見てみたいと思います。
金閣寺はなぜかくも観光名所なのか。決まっています。金だからです。俗称が金閣寺である通り、訪れる人は「なんだかよく知らないけど金箔貼りの建物」を見にくるのです。建立した足利義満を偲んでくる人もいなくはないでしょうが、まぁ少数派でしょうね。
なぜ金箔貼りなのかというと、管見では中国を讃えるためと思われます。その証拠に、三階建ての建物のうち、一階には金箔がありません。
どういうことか。やはり多少歴史に触れねばなりませんね。足利義満は、当時の日本の宗主国である中国(江戸末期以降、日本の宗主国はアメリカになりましたけどね)に憧れていた人として有名です。天皇の臣下にあっては、中国は交渉に応じてくれないからと、天皇の臣下から脱却し、出家したほどに、彼は中国ファンだった。やがてめでたく中国から「日本国王」の号を授かった彼が1397年に造営したのが、舎利殿(金閣)を含む山荘であり、後の鹿苑寺にあたるわけです。
舎利殿(金閣)の一階は公家様式、二階は武家様式、三階は中国の禅宗様式で造られています。つまり一階は公家を、二階は義満自身を含む武家を、三階は中国を表しており、公家(朝廷)には金箔を貼る価値など、つまり、輝かしく見せる価値などないというのが義満の意向だったと推察されるわけです。輝かしいのは中国であり、その中国に認められた自分達であるぞと。(二階にはもともと金箔は無かったとする説もあるそうですが)
当今、北京政府は日本に「歴史認識を改めよ」と頻繁に言ってきます。それは先の日中戦というより、もっと昔のことを含んでいるのではないでしょうか。すなわち「お前ら、ウチの門下に千年以上いたくせに、何ちゃっかりアメリカの手下になっとんじゃい」という主張なのではないかと。そしてこの主張は、筋論としては特段の瑕疵はないのです。
とはいえ、金閣寺に観光に出かけて、現在の日中関係に想いを馳せる人など、そうそうはいないでしょう。楽しく観光して頂きたいと思います。舎利殿(金閣)を過ぎると、おみくじの販売機や売店がいくつかありますが、わさびピーナッツとか、結構美味しかったですよ。京都の有名なお菓子みたいですけど。