今の若い人は戊辰戦争を知らない。そんな悲歎を、人から聞いたことがある。若い人といっても具体的にどの程度若い人なのかは知らないし、いくら何でも全員が全員知らないということもあるまい。齢が下るにつれ、戊辰戦争の認知度が下がっている傾向がある、と捉えるべきか。
別に戊辰戦争なんか知らなくても生きていける。それはそうですな。スーパーのレジ打ちや倉庫のリフト作業をするのに、戊辰戦争に関する知識が実利的に作用するとは到底思えない。でも戊辰戦争を知らない、つまり日本の近代史を知らないとなると、たとえば北海道の高龍寺なんかを訪ねても、ただの古臭い建物としか思えないんじゃないかな、と思う。余計なお世話であろうが。
戊辰戦争について、サラッと触れておく。
江戸末期、九州方面(薩摩、長州、土佐)からクーデターがあり、やがて彼らが新政府を築くことになった、近代における内戦である。現在の安倍晋三首相の母方の祖父にあたる岸信介元首相は「昭和の妖怪」と称されたCIA工作員だったわけだが、彼は山口(長州)の出生である。そう考えて頂くと戊辰戦争が現代の日本に、いかにディープに繋がっているか、ご想像頂けるかと思う。
で、高龍寺である。
高龍寺は北海道函館市内にある、禅宗のひとつ、曹洞宗の寺院である。創建は1633年であるが、その時は違う場所に建っていた(といっても、同じ函館市内ではあるが)。現在の場所に移転したのは、戊辰戦争がキッカケである。
戊辰戦争で旧幕府軍と新政府軍が最後に戦った舞台が、現在の北海道函館市であった。いわゆる「五稜郭の戦い」である。当時、旧高龍寺は旧幕府軍の病院の分院として機能していたらしいが、1869年、新政府軍による総攻撃を受け、収容されていた負傷者ともども焼失。同年、戊辰戦争は終結し、かの地は「蝦夷」から「北海道」に改称されるはこびとなった。
その後、高龍寺が現在の場所に再建されたのが、戊辰戦争の終結から10年が経った1879年。現本堂はさらにそこから20年後の1899年に完成したと伝えられる。
こうなると、高龍寺は曹洞宗の寺院であると同時に、戊辰戦争のビフォー&アフターをブリッジする建物とも言えるのではないか。歴史的意義を考えると、そう思ってしまう。あえて乱暴に言えば、原爆ドームと同様の意義を持つのではないかと。だってその寺院がそこにあること自体が、戊辰戦争という事変を静かに訴えているのだから。