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雲見浅間神社
イワナガヒメの名のとおり

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前回の江島神社、前々回の伊勢神宮と、いずれも女神様を祀る神社でした。だからというわけではありませんが、今回取り上げる雲見浅間神社も、祭神は女神様です。当社が祀っているのはイワナガヒメのミコト(磐長姫尊)という、コノハナサクヤヒメのミコト(木花開耶姫命)のお姉さんです。

そんな固有名詞を立て続けに提示されても、何が何だか分からない。そういう意見もありましょうから、順番に話していきたいと思います。

雲見浅間神社は、伊豆半島の南西部に佇む神社です。いつ建てられたかなどは史料が残っていないため分かっていません。西日本の人間にはとんと馴染みがないと思いますが、東日本には富士山を信仰対象とする「浅間神社」が、二千近くあります。雲見浅間神社もその一派です。ただ、当社が少し変わっている点は、富士山を司るコノハナサクヤヒメのミコトではなく、そのお姉さんを祭神にしていることでしょうか。



雲見浅間神社の拝殿

出典:Kumomi-Sengen-jinja (Haiden s2).jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2017年2月11日)


いや、そもそもイワナガヒメとかコノハナサクヤヒメって何なの? そういう所感もあるでしょうから、以下に『古事記』が語る神話を(あくまで私なりにですが)噛み砕いて説明したいと思います。

『古事記』で有名なのは、イザナギのミコトとイザナミのミコトの二柱による天地創造のくだりでしょう。ちなみに「柱」は神様を数える単位です。しかし物語は天地を創ってハイ終り、ではありません。同書も上巻の終盤になると、天照大御神が孫のニニギのミコト(正式な名前は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命)を、天地創造によって創られた大地へと派遣するのですが、そこでニニギさんはとある美人に遭います。それがコノハナサクヤヒメさんです。ここで「会う」ではなく「遭う」と書いたのは、『古事記』にそう書いてあるからですが、なぜ「遭」の漢字が用いられたのかは後で説明します。

ニニギさんは美女を発見しました。そして「キミ、誰の娘さんなの?」と声をかけます。古代の日本では「娘は父親の所有物である」という社会通念がありましたから、女の素性を知ろうと思えば、誰の娘なのかを訊ねることになるのですね。これは現代でいえば「キミ、どこ出身?」とか「あなたのお名前なんてぇの?」と訊くようなもので、早い話、ニニギさんは美女をナンパしているわけです。

ナンパされて、コノハナさんは「ふんだ、バーカ」などとあしらったりせず、素直に父親の名前と自分の名前をニニギさんに教えます。古代の日本では、女も男も自らの素性をみだりに開示しないのが一般的ですから、コノハナさんが素性を明かしたということは、結婚してもいいと意思表示したも同じです。品のない言い方をすれば、「やりたいんだったらOKよ」でもありますが。

ついでにいうと、ニニギさんと彼女との邂逅に「遭」が使われたのは、当時の一般常識として「女が男とうっかり目が合うのはとんでもないことだ」というのがあったからです。女は普段、身を守るために家の中に隠れているもので、それが何かの拍子で外出した時にうっかり男に遭遇してしまった。『古事記』で「遭」の漢字が使われたのは、そういうニュアンスを含んでのことだと推量されます。

ともあれ、女が都合の良い返事をくれたわけですから、現代ならホテルか女の部屋にしけこむのが常道ですが、現代人ではないニニギさんはコノハナさんにこう問います━━「兄弟はいないの?」と。ここには「お姉さんか妹がいたらそっちともお近づきになりたいな」という底意もあったでしょう。ナンパするような男が姉妹丼を目論んでも特に不思議はないでしょうが、育ちのいいコノハナさんはこれまた素直に「姉にイワナガヒメがいます」と答えます。そしてニニギさんが「キミとまぐわいたいんだけど」とストレートに告げると、素直な娘であるコノハナさんは「父に訊いてみませんと」と言います。娘は父親の所有物ですから、これが当然の返事なのです。

お父さんは「お前みたいなチャラ男に娘をやれるか!」と激高したりはせず、コノハナさんとお姉さんのイワナガさんを、喜んでニニギさんに差し出しました。ところが、絶世の美女であるコノハナさんと比べると、お姉さんのほうはどうしても見劣りしてしまうもの。ニニギさんは「ブスは要らん」とばかり、イワナガさんを拒絶し、送り返してしまいます。それが祟って、ニニギさんの子孫である日本人は「イワ(岩)のような盤石さを持てない」として、何かと短命であることを宿命づけられたといいます。

つまりイワナガヒメのミコトは盤石さの象徴。彼女を祀っているだけあって、当地(雲見)は、一九七四年五月の伊豆半島沖地震(M六・九)でもそんなに被害がなかったそうです。日本は地震大国で、タタリを鎮めるのが神道の本来であるとするなら、イワナガヒメのミコトを祀る神社が全国的に遍在してよさそうなものですが、なぜか東日本では木花開耶姫命を祀るほうが多数派だそうです。よく分かんないですね。



雲見浅間神社の本殿

出典:Kumomi-Sengen-jinja (Honden s3).jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2017年2月11日)


なお、雲見浅間神社自体は、イワナガヒメの名のとおり、海岸の岩山にあるので、足が悪い人、高所恐怖症の人などは、参る際に充分お気をつけください。






 

江島神社
大切な人と訪れた際には