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住吉大社
「水の都」大阪を司る神様

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住吉大社は大阪市住吉区、つまり大阪市南部に古くから佇む神社である。━━ということなのだが、私は個人的に住吉大社に行ったことはない。たぶんないと思う。大阪で生まれ、大阪で育ったにもかかわらず、である。それを他人にどうこう言われる筋合いもないとは思うけど、つまり私は、同社に関して、身内贔屓みたいな紹介はできないし、ルポルタージュだって書けませんよということである。



住吉大社・境内

出典:Sumiyoshi-taisha, keidai-2.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2017年5月28日)


住吉大社に思い入れがない。だもんだから、出雲大社が「自分達以外の神社が『大社』を名乗るのは、神徳を汚すことになる」とイチャモンをつけたと聞いても、個人的には特に何も思わない。イナカの人達がなんか言うとるな。それで終わってしまう。良くも悪くも。

断っておきたいのだが、私の言う「イナカの人達」というのは、別に「過疎地に住む人達」を指してはいない。私は「自分達の価値観でしか物事を見られない人」をイナカ者だと思っている。自分達の世界の外側にも、自分達の物差しでは考量できない世界が広がっている。そのことをわかっていない人が「イナカ者」なのであり、住んでいる場所は関係ない。僻地や辺境に住んでいても、イナカ者ではない人だってごまんといる。

早い話、私にとってイナカ者とは「自分の価値観を他人に不必要に押し付けてやいのやいのと言い立てる人」なのである。そして、私には出雲大社の人達がそう映る。それだけのことである。もっと大きなところで言えば、アメリカという国だって十分にイナカ者だよな、とも思う。

しかし本稿のテーマは別に「ローカルネス論」ではないので、話は住吉大社に戻る。

住吉大社がいつ造られたのかについては、よくわかっていない。住吉大社は、全国に数百はあると言われる住吉神社の総本社であり、そこでは「住吉三神」と呼ばれる三柱の神様が祭られている。その「三柱の神様」は、平たく言えば海運を司る神様であるらしい。大阪で住吉大社と言えば、何を置いてもまずは航海安全を祈願する神社であった。



住吉大社・本殿(国宝)

出典:Sumiyoshi-taisha, hongu-2 honden.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2016年5月14日)


大阪は「水の都」と言われるが、つまりそれだけ航海や水運の歴史がある地域なのである。隋や唐(昔の中国)に遣わされた遣隋使、遣唐使は、航海の安全を祈願して住吉大社に参拝した後、住吉の港から海に出たと伝えられている。津守氏(住吉大社の宮司の一族)の中には、遣唐使に参加した者もいた。

「一寸法師」と言えば日本の御伽草子の中でもひときわ名高い話だと思うが、実はあの物語の舞台は大阪なのである。主人公は、大阪の淀川を上り、京都を目指す。飛行機や自動車が普及したのは20世紀のことで、それ以前は川や海を渡航するのが長距離移動の主な手段であった。つまり、「水路を制する者は商いを制す」で、豊かな川に恵まれた大阪は、それで「商業の町」と言われるほどの発展を遂げたわけである。

しかし現在の大阪では水運はかつてほど主要な産業ではない。言うまでもなくモータリゼーションの発達により陸運が盛んになったからである。このトレンドは全国的なもので、いわば「時代の趨勢」であるわけだが、それに伴い、巷間の住吉大社への信仰も全体的に薄まったのではないかと思う。水運が一般人に近しいものでなくなれば、航海安全を祈願する神社への信仰もまたどうしても希薄になってしまう。それは避けがたい話である。

2018年9月上旬、台風21号の強風に煽られ、大阪湾に停泊していたタンカー「宝運丸」が関西国際空港への連絡橋(大阪府泉佐野市)に衝突し、橋が一時的に通行不能になるという事故が起こった。タンカーの安全管理に抜かりがあったことは確実であるが、私は「彼らに住吉大社への信仰は果たしてどれほどあったのだろうか」と思う。

俚諺りげんいわく「人事を尽くして天命を待つ」という。やるべきことをやったら、後は神様に任せるしかない。そういう心持ちを表したものである。つまり「神様を信じる」の前段階には「やるべきことをやる」が組み込まれているのであり、そのことが肝腎なのだと思う。宝運丸の人達は「やるべきこと」すら十分にはやっていなかったわけで、そんな彼らに、海運を司るという住吉の神様に対する信仰がいったいどれほどあったのだろう。私は懐疑的である。






 

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