寺院を訪れる。訪れる寺院によっては、やるせない気持ちになることもある。歴史を感じる。古風建築が心を和ませる。そんなこともあるだろう。それ自体には何も言うつもりはない。けれど、その「歴史」には、私たちが目を逸らしたくなるようなものも含まれているのではないか。そんな気がする。
桃林寺という、臨済宗の寺院が沖縄県石垣島にある。創建は1614年。あの関ヶ原の戦いの少し後。ご本尊は観世音菩薩であるとか。
へぇ、沖縄は昔、琉球王国だったはずなのに、臨済宗のお寺があるのか。そう思われるだろうか。正しくは琉球國(ルーチュークク)だったわけだが、確かに独立した王国であった。中国との貿易で栄えた小さくも平和な王国だったと思う。ポルトガル人のトメ・ピレスが著した『東方諸国記』(大航海時代叢書5、岩波書店)には以下のようにある。琉球人は「正直な人間で、奴隷や娼婦を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも、自分たちの同胞を売るようなことはしない」(生田滋他訳注)と。
しかし1609年の初春、薩摩藩の大名、島津氏が何千という兵を率いて、琉球を侵略。同年4月、琉球は敗戦、首里城が開城となった。かくして琉球王国は、表向きは独立王国という体裁が採られたが、事実上は薩摩の属国となった次第である。
当時、琉球は明(中国)にも冊封していたものの、タイミングが悪かった。明は秀吉の朝鮮侵攻(いわゆる文禄、慶長の役)への対応で、国力が著しく疲弊していた時期である。当然、琉球に援軍を送るなどできるはずもなかった。島津氏はその好機を狙ったとも言えるだろう。
世界史の場合、未開の地にはまず宣教師がやってきて、次に商人が、最後には軍隊がやってくるというのが侵略の定型である。島津氏の場合も順序は違うが似たようなパターンであったらしい。侵略後、薩摩藩サイドは「ユーたち、社寺、造っちゃいなYO!」と進言したわけである。宗主国からそう言われては属国としてはいやもおうもない。現代において、日本が宗主国であるアメリカの進言に逆らえないのと━━じゃなきゃ、裁判員制度なんか導入するいわれがない━━同様である。かくして、石垣島に桃林寺が建立されたのである。
言い換えれば、桃林寺は日本による侵略の動かぬ証拠なわけである。イギリスのように、自分たちの祖先が植民地や属国から収奪したものに誇りを持つ、というメンタリティもありえるとは思う。そういうナショナル・アイデンティティの在り方自体は否定しない。しかし、私はそうはなれないというか、やはり後ろめたさ、申し訳なさを感じてしまうのである。
占領後も日本は沖縄を先の大戦において見捨て、今でもアメリカに供物として差し出している。今年(2018年)の初めのタンカー事故すら、本州のマスメディアは一貫して無視をしていた。構造的に、日本人は沖縄から目を逸らし続けてきたと言えるであろう。その歴程を踏まえると、ただ、こうべを垂れて申し訳ないと思うしかできないのである。