「宇佐」? なんだそりゃ。パンダのぬいぐるみがバンドをやっちゃうCMでお馴染みのカラオケか? ありゃ「UGA」か(2020年8月時点でUGAのサービスは終了済)。くだらないダジャレですな、すみません。しかしそれでいてもちろん、カラオケは本題とは関係がない。宇佐神宮とは大分県宇佐市(大分県北部)にある神社のことである。
宇佐市は別府市に隣接する、人口5万人ほどの地方都市である。別府市と同様に観光都市であるらしく、同市の観光の目玉はこの宇佐神宮だという。毎年、お正月には全国から参拝客が宇佐神宮に三々五々集まる。
いったい何がそんなに魅力なんだろうか? 実はこの宇佐神宮は、全国に4万数千社はあると言われる八幡宮の総本社なのである。あなたの家の近くにも、地元の人が「八幡」とか「八幡社」とか「八幡さま」と呼んでいる神社がないですか? その手の「八幡宮」は、北は北海道から南は沖縄県まで、全国各地に遍在しており、宇佐神宮は、それら八幡宮の総大将みたいな存在なのです。そのため、地元の人には「宇佐八幡」と呼ばれるんだとか。
宇佐神宮・南中楼門
出典:Usa Shrine Nanchu Romon.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年11月18日)
「そらええけど、そもそも『八幡』って何やねん?」━━ざっくりと言えば、大昔の皇室で称えられた神様、
八幡神のことである。この八幡神は武神(武運の神様)として平安や奈良の時代から崇められていたという。また、皇室的には、八幡神は
天照大御神に次ぐ「皇室の守護神」にあたる。幡は旗のことで、この旗は神道でいうところの「ヨリシロ」である。つまり、「この旗(幡)に神様がお宿りになられまっせ」ということ。
古墳時代や奈良時代というのは、権力者が神様みたいなものであった。権力者は「私には神のご加護があるんだ、だから私に従え」というロジックを用い、平民は「そんなもんかいな」と思って、権力者に(少なくとも表向きは)しずしずと隷属した。その点では、中世から近世にかけてのヨーロッパと大差ないと言えよう。中世ヨーロッパでも、平民は特定の宗教を信仰するように強制され、教会は莫大な利権を長きにわたってむさぼり続けた。教会の理念や神学に背く人は、いわゆる「宗教裁判」にかけられ、理不尽に処刑された。
話を日本に戻すと、宇佐神宮は8世紀に創建され、9世紀にはほぼ現在の形になっていたという。つまり、同神宮は「奈良時代から平安時代にかけて成立した神社」であるわけで、その当時の宇佐神宮は九州で最大規模の荘園を持つ、九州随一の権力者であった。
荘園とは何か? これまたざっくりと言えば、「そこを耕す農民付きの農地」である。当時はまだ貨幣経済が確立されていなかったから、物々交換が経済のメインであった。そこでは、生産の現場である田んぼや畑が、なによりの財産になる。しかし、土地だけあっても仕方がない。農地には、そこを耕す農民が不可欠である。そこで「農民付きの農地」が「荘園」というユニット(単位)として扱われるようになった。当時の体制下では、「九州で最大規模の荘園を所有する」は、「九州一の資産家」と同義なのである。
その意味で、宇佐神宮とは、九州随一の権力者のレガシー的なものでもある。だからなのか、同神宮の宮司の継承にはゴタゴタが付き物で、それは21世紀の現代でも変わっていない。
宇佐神宮・呉橋
出典:Usa Shrine Kurehashi 01.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年11月18日)
2009年、当時宇佐神宮の宮司は空座になっていたので、神社本庁は、下部機関である大分県神社庁の庁長を、同神宮の宮司職に就かせるという人事を発表した。すると、宇佐神宮の責任役員会や氏子総代会が「勝手なことすんな」と、この人事に猛反発し、自分達で女性の宮司を立てた。この件は裁判沙汰になり、最高裁まで争ったが、結果的には女性宮司が敗訴。2014年、女性は宮司職を解かれ、神社本庁からも解雇された。その後も同神宮の宮司を巡っては泥沼が続き、2020年現在、同神宮と大分県神社庁は「犬猿の仲」で、絶縁状態であるともいう。
私には、宇佐神宮に祀られる神様や、同神宮を参る人をとやかく言うつもりは毛頭ない。ただ個人的には、わざわざ時間とお金をかけて、権力争いの舞台に足を運びたいとは微塵も思わない。それよりは誰かと(あるいは一人で)カラオケにでも行ったほうが、いくらか気分がいいんじゃなかろうか。僭越ながらそう愚考する次第である。