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靖国神社
THE TATARI MAKER IN TOKYO?

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こんにちは。本日のお題は靖国神社です。東京都千代田区にある神社ですが、おそらくニュースで「靖国神社」という名前を聞いたことがある人には、A級戦犯の合祀問題の本拠地、なんてイメージがあるかもしれません。それが悪いというわけではありませんので、悪しからず。

けれど靖国神社は、別に先の大戦を契機に造営されたわけではありません。合祀問題が国外で紛糾するのは、多くは政治的パフォーマンスでしょうし、国内の場合でも「個人の問題」として片付けられそうなケースが多い(個人の資質やセンスの問題であるということも含めて)。逆から言えば、靖国神社の創建や当神社の本質に絡んだイシューが公の場で語られることは大変に少ない。そう思います。

靖国神社はどのようにして造られたのか。そしてそのプロセスから浮かび上がってくる本質的な問題は何か。そこが今回のテーマです。



靖国神社 拝殿
出典:2018 Haiden (Yasukuni Shrine).jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2018年9月30日)

靖国神社の創建は西暦1869年。そう、戊辰戦争が終結した年です。当時は「東京招魂社」という名称でしたが、1879年に「靖國神社」へと改称。元来の名称が暗に示す通り、靖国神社は、中央政府による中央政府のための神社です。そのため靖国神社は、三重の伊勢神宮を本宗とする、日本各地の神社を包括する宗教法人「神社本庁」に帰属していません(全く無関係というのでもないですが)。

では、何のために造営されたか。国のために死んだ人々を「英霊」として祀るためです。それ自体はどこの国でも割とありがちな話なのですが、問題はこの「英霊」の基準がひどく恣意的であることではないか、と思います。実の所、靖国神社の歴史は、戊辰戦争で亡くなった人のうち「新政府軍」に属していたメンバーのみを祀った所からスタートしているのです。

何が問題か。神社というからには、一応は神道の宗教施設です。神道において亡くなった者を差別して祀るなどは、本来的にはありえません。むしろ賊軍の死者をこそ丁重に祀らねばならない。さもないと「タタリガミ」として彼らは災いをもたらすからです。そういう宗教なんです。しかし靖国神社は戊辰戦争の賊軍を弔う鎮魂の儀をついにしなかった、いわば神道としての邪道から成立してしまった。そこがこの施設が包含する本質的な問題なのではないか、そう考えられるのです。実際、戊辰戦争以降の、たとえば西南戦争の場合においても、政府軍の死者こそ祀られるに至ったものの、西郷隆盛が属していた薩摩軍は放ったらかしにされましたからね。



靖国神社 神門
出典:Yasukuni Shrine Sinmon.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2018年7月8日)

靖国神社は、「タタリガミ」を増益させる装置なのではないか。

太宰天満宮に「学問の神様」として祀られる菅原道真は、政略的にハメられて左遷され、「あいつら祟ってやるからな」と恨みを残して亡くなった実在の人物でした。そして実際、道真の死後、内裏(宮城の一部)は炎上するわ、道真の政敵はバタバタ死ぬわ、大惨事が都で起こったのです。勢い「こらアカン、道真を神様として祀っとかなやばい」となり、晴れて道真公は神様になったという次第です。

「祟りなんて迷信だ」と言う人もいるかもしれません。ただ、それなら神社がそもそも要らない、となりますよね。でもここまで全国的に神社が普及して、靖国問題まで勃発している当今、そう考えるのはナンセンスでしょう。ならば先の敷衍ふえんから類推するに、靖国神社は日本を祟る「タタリガミ」を、わざわざもたらし続けたと考えて然るべきではないでしょうか。

その祟りとは具体的に何か。明治から平成までの日本の歴史に徴すると、いろいろと浮かび上がってきそうですけれど、紙幅も尽きたので今回はここまで。







 

明治神宮
及び、大正時代より遺贈された「永遠の杜」について