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■ 12月31日から1月30日にかけて、「一九九六年の音楽」をフィーチャーします。







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銀座ヨシノヤ
または世紀を跨いだ銀座史

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今と昔では、銀座(東京都中央区)という町のイメージが結構違うかもしれない。私は大阪の人間だが、そう思うことがある。二十世紀半ば━━だいたい昭和の時代と言っていいだろう━━において銀座は、一定以上のステータスの人が集まる、大人の華やかな社交場という印象が強かった。文字通り「花の都」というか。だから地方でも、地元の商店街に「〇〇銀座」と名づけるところが多くあった。しかし二十一世紀の今では、銀座は「大人の社交場」ではなく、東京の繁華街の一つという立ち位置にある気がする。

そういう意味合いにおいて、「これからどうなんねやろな」と思うのが、今回取り上げる銀座ヨシノヤである。

銀座ヨシノヤ、と言っても銀座にある吉野家のことではない。今から百年以上前、一九〇七年に東京府の尾張町(今の東京都中央区銀座の一部)で創業した製靴会社である。現在の主力商品は婦人靴だが(たとえば私の地元=大阪の阪急うめだ本店の一角に彼らの靴は並んでいるが、そこには婦人靴しかない)、創業当初は紳士靴をメインに商っていた。



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彼らが婦人靴をメインにするようになったターニング・ポイントは一九三〇年代。この頃に独自のバレエ・シューズを開発し、のちに松竹や宝塚、日劇などのバレエ・シューズを全面的に担うようになった。一九三五年には婦人&子供靴の専門店を銀座に出してもいる。当今の彼らのあり方はこの時代に確立したと言えるだろう。

ただ、そうは言っても今は二〇二五年で、二十世紀序盤を実際に体験してきた人などほとんどいない。それが実状であろう。つまり銀座ヨシノヤの草創期の話をしたところで、大多数の人がピンとこない。だから二十世紀序盤の日本がどんな状況だったかを語る必要がある。

彼らが創業した一九〇七年は明治四〇年。この年は簡単に言えば「バブル崩壊の年」である。多くの人は「バブル崩壊」というと九〇年代序盤だろうと思うかもしれないが、好景気が泡のようにはじけて終わることを「バブル崩壊」と言うなら、それは二十世紀の日本で何度かあった。

この年の一月、東京の株式市場で大暴落が生じ、三月には海を隔てたアメリカでも株価の大暴落が起きた。なぜそうなったかといえば、日本の方は、日露戦争に勝ったことで生じていた好景気(バブル)がはじけたからである。アメリカの方は、前年に発生して千人以上の死者を出したサンフランシスコ大地震の後遺症で暴落現象が起きた。

遡及的に見れば、当時の世界では資本主義がまだ発展途上で、世界経済は今と比べてずっと脆弱だったと言えるかもしれない。だからか、この年の日本では中小銀行の支払い停止、取付け騒ぎが二回も起きている。



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そういう経済的に不安定な時代ではあるが、一方でこの頃には女性の存在感が社会的に大きくなってきたりもする。二月にはイギリスで女性参政権を求めるデモ隊が国会に突入し、七月には清朝(当時の中国)転覆計画の首謀者として女性革命家の秋瑾が逮捕され、三十一歳の若さで命を奪われた。翌〇八年にはアメリカで世界初の「母の日」を祝う動きもあったが、日本で初めて美人写真コンクールが開かれたのもこの年であったりする(ちなみに一等に輝いたのは学習院の女子学生)。また、川上貞奴が日本初の女優養成所=帝国女優養成所を開設したのもこの一九〇八年である。

なぜ「母の日」を祝っただけのことが歴史に残るのかというと、それまで「母=女」は日陰の存在だったからである。だからこそ、せめて母の命日くらいはその存在を公に祝いたい。母の日の提唱者は、自身の母親の追悼式でそう思いついた。一九一四年にはそれが認められ、提唱者の母親の命日である五月九日(=五月の第二日曜日)はアメリカで国民の祝日になる。二十世紀前半、それまで日陰の存在でしかなかった女性が、社会の表層にさまざまな形で出てくる━━世界的にそういうムーブメントが起きていた。

同じ一九一四年、大阪毎日新聞に「日本で初めての少女歌劇」と打たれた広告が出る。宝塚少女歌劇団の第一回公演のパブリシティーであった。この公演は当たり、二〇年代にかけて大阪や東京で少女歌劇は花盛りとなる。加えて一九一七年に勃発したロシア革命を機に日本に亡命してきたロシア人が、二〇年代に日本初のバレエ・スタジオを構え、バレエが普及するなどもあった。女性を主軸にした芸能が開花すれば、同時に女性向けのファッションも加速するのが道理というもので、こうした時代の風を受けて銀座ヨシノヤは三〇年代、バレエ・シューズや婦人靴にシフトする。

が、それはそれとして、花はやがて萎れて枯れるものでもある。



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二〇二〇年代前半、宝塚歌劇団の団員が先輩からのパワーハラスメントを苦に自死する事件が発覚。これを受けて、宝塚歌劇団のあり方は揺らいだ。現在進行形で揺らいでいると言ってもいい。それは敷衍すれば、かつての女性の社会進出ムーブメントは百花繚乱の時代を経て、「では社会の中で女性はどうあるべきか」が問われる局面を迎えているとも言えるだろう。

銀座ヨシノヤが社名に冠する銀座も、かつての「花の都」ではなくなった。七〇年代以降、社会の大衆化が進むのと並行して、マクドナルドやユニクロなど大衆向けの店が銀座にもぞろぞろ押し寄せる。こうなると渋谷や中野などほかの繁華街との差別化は難しくなり、「大人の社交場」はゆっくりと「ワン・オブ・繁華街」に変質する。

組織全体の平均年齢が五十代後半という銀座ヨシノヤは、ある意味「萎れゆく銀座」を象徴しているように見えなくもない。彼らとて中途採用の人材を募集してはいるが、応募資格は三十五歳以下。今の二十代や三十代に、昔のような輝かしい「ザギン幻想」があるかといえば多分ないわけで、だとすると、銀座ヨシノヤのような「年配が幅を利かせる職場」を若い人が選ぶ理由もそうそうない気がする。仮に入社しても、長くは勤めにくいんじゃないかなとか。私が「これからどうなんねやろな」と言うのはそういうことで、まぁ余計なお世話と言われれば返す言葉もない。

なお、読んで頂いた方にはご了解の通り、私は本稿で彼らの靴のクオリティーとか、会社としての方針をどうこう言っているわけではないことは念のために付言しておく。

履きよさは、美しさ。銀座ヨシノヤ




 

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