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ジャンボスリッパ
19世紀の東京から、21世紀の富山まで

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丸和ケミカル株式会社のジャンボスリッパ。どういうものかは読んで字の如くである。ジャンボサイズのスリッパ。ただそれだけである。サイズが大きめの黒いスリッパ。それ以外に付言してしかるべき要素は、これといってないように思う。



ジャンボスリッパ
外寸:32cm、表材:PVCレザー(底材:EVA)

スリッパは衣料品なのか? それについては意見が分かれるところであろう。クツの一種と言えなくもないし、日用雑貨と位置づけてもいい気がする。つまりグレーゾーン。であれば、ここで「衣料品の一種」と見なしてもあながち間違いにはなるまい。そう愚考する。別に私がスリッパを衣料品にカテゴライズしたからといって、誰かが職を失うとか、日本に通貨危機が訪れるとかがあるわけじゃなし。

スリッパとは何か? 室内履き(ルームシューズ)の一種である。欧米諸国では屋内に入ってもクツを脱がずにそのまま過ごすことが多いが、日本では基本的に屋内では「土足厳禁」である。この生活文化の差がスリッパを日本に定着させることになった。

ご案内のように、日本は19世紀半ばの1854年、日米和親条約を締結し、開国した。それ以前にも長崎などで局所的に海外諸国と交易するなどはあったが、国全体が広く外国に門戸を開けることになったわけである。そこで文明開化の音がしたのかどうかは知らないが、ともあれ開国したおかげで「外国人が日本に来る」が当たり前になった。

開国したばかりの日本には、西洋人向けの宿泊施設がない。だから外国人は、旅籠(はたご)や寺社に泊まった。ただし前述のように、西洋人には「屋内でクツを脱ぐ」という習慣がない。そして多くの場合、西洋人は日本を「世界の果てにある蛮族の国」としか見ていなかったので、日本には日本流のマナーがあるのだという風には思わなかった。だから彼らは平気で畳の間に土足のまま上がって、当然トラブルが頻発する。

そうなって困るのは西洋人をもてなす日本人で、ある日、東京で仕立屋を営む徳野利三郎という人に、西洋人向けにクツの上から履く屋内用の履物を作ってくれという依頼が、横浜のある筋から入った。そうして徳野が作った履物が日本製のスリッパ第1号だと言われている。時は1868年で、長く続いた江戸時代が終わり、明治時代が始まった年でもあった。

「なんだか日本の近代文化史の講釈になっちゃったけど、ジャンボスリッパはどこへ行ったんだ?」とは思う。大丈夫、すぐそこへ戻る(多分)。



19世紀の横浜居留地、フランス海軍病院
(パブリックドメイン)

要するにスリッパとは、もともと「クツの上から履いて屋内を汚さないようにする」ために開発されたものなのである。その意味合いにおいては、現代日本におけるスリッパの使い方は、本来の目的からいささか外れていると言わざるを得ない(だから悪いと言うつもりは毛頭ないが)。

その点ではジャンボスリッパは、まさしく「スリッパの本来的な形」であると言えよう。なにしろこれは、クツの上から履いて使うためのスリッパだからである。だからジャンボなのである。具体的にどれくらいのサイズのクツが入るのか? だいたい28センチくらいまでなら、だという。

現代でも、屋内に上がるときにクツを脱ぐのはちょっと億劫だなというシチュエーションはいくらでもあるだろう。たとえば、足元をがっちりフル装備して工事現場で働く工員が所用でよその邸宅に上がるときとか、バスケットボール部で活動する中高生が用を足しに校舎に行くときとか(バスケットシューズは気軽に脱いだり履いたりがしにくい)。

そういう「ちょっとした難事」は私達の周りのそこかしこにあって、ジャンボスリッパは、それを凌ぐのに重宝される一品なのである。

ジャンボスリッパの製造元である丸和ケミカルは、富山県高岡市に籍を置き、すべり止め手袋など化学繊維商品の製造、販売を主務とする会社である。創業者の木田博久は、1963年の春、富山県内に4年前に設立された南砺市井波勝星編物化工(後の勝星産業株式会社)に入社し、同社で常務になるまでキャリアを重ねた。勝星産業もすべり止め手袋など化学繊維商品を商う会社で、そこでノウハウを培った木田は、1980年代に自前の会社を設立した。それが丸和ケミカルである。





 

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または、ジャパンブルーの歩み(簡素版)