今年(二〇二五)の夏の平均気温は、過去最高の値になる見通しである。そういうニュースが八月下旬に飛び込んできた。彼らの言う「夏」とは六~八月のことらしいが、たしかに今年の夏は、少なくとも私が暮らす大阪は「酷暑」と呼ぶに相応しい暑さだった。エアコンなしに一日を過ごすなどは、多くの人にとって無理難題に等しかったはずである。
もっとも、この時期が冬だった南半球は南半球で空前の寒波に見舞われていたようで、たとえばオーストラリアの南オーストラリア州では、百十六年ぶりの寒さを記録したと伝えられる。アルゼンチンやチリなどでも、例年を遥かに下回る気温が観測された。
が、差し当たりここは北半球の日本である。
東京、愛知、大阪など日本の都市圏においては、九月を迎えてもまだまだ暑さが続くと本邦の商業メディアは伝える。こうなると活躍する服は、どうしてもTシャツということになるだろう。少なくともミラノリブセーターとかダブルジャケットみたいな「秋の装い」は、着る人は着るだろうが、町で主流になることは当分ないと思う。北海道や東北地方でどうなるかは分からないが。
そんな残暑厳しい折、本稿では東京の久米繊維のTシャツを取り上げる。

北斎Tシャツ 月兎(半袖)
色:浅紫/サイズ:S~L、レディース
税込4,950円(2025年8月時点)
久米繊維は一九三五年に創業し、戦後間もない五〇年代からTシャツを製造し続けている老舗Tシャツ・メーカーである。「日本製のTシャツを」という段になると、彼らの名前は必ずと言っていいほど候補に挙がる。
当今、Tシャツは老若男女誰もが着るアイテムになっている。GUのものであれトップバリュのものであれ、年端の行かない子供から年金暮らしのシニア世代まで、誰もが自分用のTシャツを持っている。そう断じていいのではあるまいか。それをインナーとして着るか、アウターとして着るかはまちまちであるにしても。
しかし五〇年代にはこんな状況はなかった。Tシャツというからにはそもそも舶来品なわけだが、本場アメリカにしても、二十世紀半ばまでTシャツは肌着の一種に過ぎなかった。そのTシャツをトップスとして着るというスタイルが流行ったのが五〇年代、日本でTシャツが主流なトップスになったのは、そこからさらに二十年ほどを経た七〇年代である。インターネットがない時代、情報が広く伝播するにはそれくらいの時間が必要だったのだろう。スマホが〇〇年代後半に発表されて、一〇年代前半には全世界で普及していたことを考えると、隔世の感を禁じ得ない話である。
だからこそ五〇年代からTシャツを製造し続けている久米繊維にはアドヴァンテージが宿る。五〇年代当時は、そもそも「Tシャツを着ること」はおろか、Tシャツという単語自体が普及していない。その頃からTシャツを「色丸首」と呼び、地道に販促活動をしながら彼らはこつこつTシャツを製造してきた。世間から「なんか珍妙なことしてんな」と怪訝な目で見られることも多かったろう。それでも彼らはTシャツ製造を続けた。こうした歴程があるからこそ、老舗として信用されるというところはあると思う。

久米繊維謹製「楽」Tシャツ(長袖)
色:灰色/サイズ:XS~XXL
税込3,520~3,740円(2025年8月時点)
で、こういう話になると、多くの人が次のような文句を出すだろうことは想像に難くない。「そりゃたしかに老舗なんだとは思うけど、でもそういうのってお高いんでしょう?」
Tシャツにいくらまで出せるか? これは人によってばらばらだろう。二千円までしか出したくないという人もいれば、「上限は一万円くらいかな」という人もいる。中には「気に入ったものであれば値段は気にせず買う」という人もいるだろうが、総体としては「コートや靴ほどにはお金をかけられない派」が多数ではなかろうか。
久米繊維のTシャツは、はっきり言ってそのへんのブランドものよりかは遥かに安い。彼らのラインナップには一万円台のTシャツもあるが、五千円以下で買える(二〇二五年夏時点)アイテムもいくらでもある。子供にはやや厳しい価格帯かもしれないが、大人であれば手が出せないこともない。そういう位置にあるブランドと言っていいだろう。

北斎Tシャツ 月夜の忍者(半袖)
色:抹茶/サイズ:S~XL
税込4,950円(2025年8月時点)
普段の生活で手にするTシャツは、中国製、ヴェトナム製、カンボジア製などどうしても海外製のものが多い。つまり、「日本国内で作られるTシャツってどういうものか」を実感する機会が、そもそも少ないということである。こうした状況そのものは取り敢えずどうともしがたいところだが、その中で「日本国内で作られるTシャツ」をトライするとして、久米繊維のTシャツは比較的試しやすいポジションにあるはずである。