二〇二五年の現在、多くの人はかつて世界を席巻した「コロナ禍」を、とうに終息したものと思っているはずである。もちろんそういう認識が間違っているなどと言うつもりはない。私事になるが先日、コロナに罹患して病院に行ったのだが、そこで担当の男性医師は「もうコロナはちょっと重たい風邪みたいになってますからね」と言っていた。これを素直に解釈するなら、コロナ自体は依然として流行しているけれど、同ウイルス感染症の危険度は以前ほどではなくなっているということだろう。そういう意味合いにおいて、確かに「コロナ禍」は終わったと言っていいかもしれない。
「これは草履の記事だろう? なんでコロナの話なんだ?」と訝る人もいるかと思う。もっともである。ただ、今回取り上げる黒田商店は━━日本人の多くがそうであったように━━先のパンデミックの影響を大いに受けた。少なくとも現在、彼らのことを文章にして表すなら、「コロナ禍」を避けては通れない気がするのである。
ここで私が改めて語るまでもない気もするのだが、一応「コロナ禍」について簡単に説明したい。二〇一九年十一月、原因不明の新型肺炎が中国の武漢市で確認され、その後この病気は「新型コロナウイルス」という未知のウイルスに感染して惹き起こされるものと判明した。このウイルスの特徴は、感染してもすぐには自覚症状が出ないというステルス性の高さだった。そのため翌二〇年にかけて同ウイルスは国境を越えて広まった。三月、世界保健機構(WHO)は同ウイルスの「世界的流行=パンデミック」を認める。これを受けて日本を含む世界各国が、人の往来をできるだけ抑制すべく経済封鎖やロックダウンを打ち出し、さまざまな立場のさまざまな人が、大なり小なりのダメージや行動制限を長期的に被った。そういう「新型コロナウイルスの爆発的流行に伴って生じた災禍」を総称する言葉として、本邦のマスメディアやネット上で頻繁に使われたのが「コロナ禍」である。
このパンデミックがいつ収まったのかは、実は杳として分からない。だいたい二〇二三年には収まっていたという人もいれば、実質的に収まったのは二四年くらいだという人もいるだろう。先述のように、ウイルスの流行自体はまだ現在も続いている(と思われる)のだけど、時間の経過に伴ってウイルスが弱体化したのか、その危険度は二〇二〇年の頃よりかは下がっているのだろう。かような事情を鑑みるに、「コロナ禍」は二〇二〇年に始まって数年で収まったと見るのが妥当な気がする。なんとも煮え切らない言い分だなと思われるかもしれないけれど。
そして話の眼目である黒田商店である。

実際の数は分からないけれど、おそらく「黒田商店」という店なり会社なりは日本全国に散在しているだろう。この黒田商店は、四国は香川県高松市で創業した大正五年(一九一六)以来商いを続けている履物専門店である。
履物専門店と言っても、彼らが専らに商うのは(表題にあるように)草履や雪駄などの和モノであり、レザー・シューズやブーツなどいわゆる洋モノは取り扱っていない。高松の店の中には実にさまざまな鼻緒や台が陳列されていて、客の足や好みに応じて履物をハンドメイドしてくれる。
「そういうのは魅力的だけど、わざわざ高松まで行くのはきついわね」という事情を抱えた遠隔地の人のためであろう。三代目店主の黒田重憲さんと夫人の恵さんを筆頭にしたチームが、全国のギャラリーやイヴェントに出張して黒田商店の営為をPRしていた。その射程範囲は国内に留まらず、アメリカやシンガポールにも赴いたことがあるという。
なんで過去形なのか。今はもうしていないからである。彼らが全国に出張っていたのは、あくまで「コロナ禍」前の話。つまり二〇一〇年代までのことである。二〇二〇年になると新型コロナウイルスのパンデミックが現出。この頃は遠隔地への出張そのものが難しかった。仮に主催者側が頑張ってイヴェントをなんとか開いたとして、そこに出張っても、客がろくに入らないことも珍しくなかった。皆、外出や遠出を極力控えていたからである。飛行機や電車などがほとんどがらがらだった景色を覚えている人も多かろう。
「確かにそういう時期はあった。あの時に出張がなかったのは分かる。でも、ああいうのって大体二〇二一年頃までじゃなかったっけか?」━━と思うかもしれないが、黒田商店の受難はそれ以降も続く。
当たり前の話になるが、店主夫妻が遠隔地に出張するとなると、高松に誰かが残って履物づくりや客対応をする必要がある。しかし「コロナ禍」を期に、黒田商店の履物づくりを長らく担ってきた職人が、軒並み引退してしまった。要するに人手不足で、こうなると店主夫妻が高松を離れることは絶望的に難しくなる。かくして彼らは現在、遠隔地への出張を行なっていない。
もっとも、問い合わせや依頼はひっきりなしというから、それで店が困ることはないのだろう。ただ、黒田夫妻は現時点でお二人とも七〇代。今はともかくとして、今後どうなるんだろうとなると、よく分からないとしか言えない所がある。どうなるんだろうか。
