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桃太郎ジーンズ
または、ジャパンブルーの歩み(簡素版)

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今から丁度10年前(2012年)に、このサイト上で桃太郎ジーンズの記事をアップしました。今となっては当時のことなんて、ほとんど(全く)覚えていないんですが、その当時の記事を読むと、とりあえず「先方に取材をして、商品の写真まで提供していただいたからには、ちゃんとした提灯記事に仕上げなくては」と筆者(昔の私)が意気込んだんだろうな、ということは文面から伝わってきました。当時私はまだ20代。記事からは、若さで律義さが空回りしている印象しか受けなくて、苦笑するばかりでした。

若さや律義さは、ある意味で人間性における美点であるかも知れません。でも若くて律儀な人が書いた文章は(往々にして)いささかの面白味も見当たらなかったりするものです。少なくとも私が10年前に草した桃太郎ジーンズの記事にはそれがあてはまる。おまけに、まずいことに、その記事ではどこの会社がどういう経緯で作ったブランドなのか、といった基本的な説明もありませんでした。これはさすがにリタッチしなきゃダメだろうと思って、今回、それをすることにした次第です。

つまり本稿は桃太郎ジーンズの記事の改訂版にあたるわけですが、上述のように「桃太郎ジーンズ」とはブランド名です。だから、現実にそういうジーンズの種類、あるいはそういう名前のメーカーがあるとかではありません。



桃太郎ジーンズ「GOING TO BATTLE(出陣)LABEL」
ポケットのラインはノボリをイメージしたという。

桃太郎ジーンズとは何か? 平たく言えば、「繊維業を営む岡山生まれの男が2006年に作ったジーンズのブランド」です。とはいえ、これだけだと「何が何だか」でしょうから、以下、順番に詳述したいと思います。

1954年、中国地方の岡山県倉敷市にとある男の赤ちゃんが生まれました。名前は真鍋寿男。もちろん彼がのちに桃太郎ジーンズを生み出すわけですが、それは2006年のこと。じっくり順番に語っていきましょう。

1954年って、もうずいぶんな昔ですよね。この年の3月には日本のまぐろ漁船「第五福竜丸」が、ビキニ環礁での操業中、アメリカの水爆実験に巻き込まれて被曝するという惨劇がありました。漁船はアメリカの指定する危険区域の外にいたのに━━です。広島で第1回原水爆禁止世界大会が催されたのは翌1955年ですから、1954年当時はまだ「原水爆をなくそう」という思想が確立されてなかったわけです。そういう世界って、今からはちょっと想像がつきにくいかも知れません。

その1954年に生まれた真鍋は、長じて1972年に地元の倉敷市役所に就職します。その後、職を転々として、1980年代後半に繊維業界に入るんですが、そこで藍染めの魅力にとりつかれていきます。藍染めの「ブルー」を活かした独自のアパレル・ブランドを立ち上げたいと思った真鍋は、1992年に、デニム生地を主軸とする生地卸しの会社、株式会社コレクト(のちの株式会社ジャパンブルー)を設立。その2年後に、念願の自社オリジナルのデニム「ジャパンブルーデニム」を発表します。



時代は1990年代半ば、バブルが崩壊して間もない頃です。もう銀行に貯金を預けていてもろくに利子はつかないし、日本企業の資産は加速度的に目減りするばかり。国内では、ほとんど収入がないはずの女子高生がルイ・ヴィトンのバッグや財布を持ちたがるブランド志向が普遍する一方、安く手に入るファスト・ファッションも根付きつつありました。当時の日本人の大半は「成金趣味」と「安物買い」の間で、どちらにしようか態度を決めかねてうろうろしていたと言えるでしょう。

そんな中、真鍋は「ええもんは値段が高くなるんが当たり前や。ホンマにそれがええもんやったら、多少高くても客はつく」路線を行きます。そして当時は「バブルがはじけた」と言っても、2010年代の日本よりも経済的な余裕は(全体的に)ありましたから、何万円もするジーンズだって、モノが良ければ確かに売れたのです。覚えている人も多いでしょうが、当時はリーヴァイスの501や、ナイキのエア・マックス(スニーカー)あたりがプレミア化して、何万円、何十万円もしました。にもかかわらず、それらを欲しがる人は確かにいたのです。

いわば「バブル期の余波」のおかげで、真鍋のジャパンブルーは大きな破綻もなく、市場で一定の支持を得ました。桃太郎ジーンズは、その勢いに乗る形でジャパンブルー社が2006年に発表したブランドです。しかしながら平気で3~4万円もする同ブランドのジーンズが、海外はともかく国内でこれからも支持されるでしょうか? されるといいけど、とは思いますが。





 

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