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SOUKIの靴下
奈良県から、あなたの足元まで

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こんにちは。この文章がいつ公開されるかは(今のところ)分かりませんが、とりあえず書いている現在は2021年12月で、私は北摂(大阪北部)にいます。ひとくちに大阪といっても、北部は、気候という点では京都とほとんど変わりありません。つまり、結構寒いということです。冷たい空気が文字通り「肌を刺す」ようで、なかなかしんどいです。

人によっては、寒さ対策をいろいろ講じておられるかもしれません。食事の際にはできるだけショウガを摂ることを心がけるとか、外出時には必ず腹巻きをするだとか、いろいろ。それは人それぞれだと思いますけど、やっぱり基本は「足を冷やさない」じゃないかと、私は愚考します。俚諺でも「頭寒足熱」というくらいですから、足は冷やさないほうがいいんですよね。で、こうなってくるとマスト・アイテムはあったかい靴下だということになります。たとえば奈良県の創喜(SOUKI)の靴下みたいな。

よかった。やっと本題に入れました。ホッとしています。



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「奈良」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか? まぁ多くの人にとっては観光地でしょうし、そこからシカを連想する人もいると思います。グルメの方には、そうめんの名産地というイメージかもしれません。

でも、意外に(と言っては失礼かもしれないんだけど)奈良県は靴下の生産量が日本一だったりもするんですね。創喜は、奈良の広陵町という靴下の名産地で1927年に創業した、老舗の靴下メーカーです。

1927年といえば、ほとんど100年前ですから、大昔とは言わないまでもかなりの昔です。昭和2年ですからね。大正天皇の崩御があって改元があり、この年の夏には文豪、芥川龍之介が30代半ばという若さで服毒自殺します。全国の中学校、高等専門学校、師範学校では軍事教練がすでに義務づけられていましたし、翌1928年には、1925年に可決された治安維持法が初めて適用されて、社会主義者への弾圧が本格的に始まりました。やがて幕を開ける世界大戦に向けて、雲が太陽を覆い隠すようにゆっくりと暗くなってゆく━━創喜が産声を上げたのは、そういう時代でした。

そういう暗い影は、戦後の創喜にも見られます。よくある話ですが、経済苦で靴下の生産をやめざるをえないという展開です。

戦後、産業技術の発展とともに靴下は安く大量に生産される状態がデフォルトとなりました。海外で作られた安い靴下が市場を席巻するようになったんですね。今でもスーパーの靴下売り場なんかに行くと、インドネシア製やタイ製の靴下をよく見ますけど、こうなっちゃうと、国内の旧来のやり方では、品質はともかく物量や価格という面では太刀打ちできなくなります。それで星の数ほどの工場がカンバンを下ろしました。創喜もその1つだったのです。

その創喜が、なぜ再び靴下を作り始めたのか?

「SOUKI」ブランドを立ち上げたのは創喜の5代目ですが、彼はもともと家業を継がず、別の仕事に就いていたそうです(これもよくある話ですね)。それで外の視点から見たら、実家の靴下作りがなんだか妙に面白く思えたんだそうです。だから靴下生産を再開と。



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ただし、一般的なカジュアル・ソックスと同じ素材を使っても、価格が(海外製品と比べて)割高になりますから、市場ではなかなか通用しません。そこで創喜は、衣服に使われる質のいい天然繊維(ウールやリネンなど)を積極的に使っていく方針を採ります。

靴下は足が着る服とも言えますから、これは自然な成り行きなんでしょうね。足も身体の一部ですから、良質な天然素材をまとうに越したことはない、と。ただ、そうは言っても、創喜の靴下には(おおむね)化学繊維もわずかばかり混淆的に使われているんですけど。

それなりの歴史を持つ創喜には、昔ながらの古い機械があります。昔ながらの機械で編み込むため、創喜のいうローゲージ・ソックスは、ノーマルな靴下に比べて、ふっくらとして分厚くもなります。こういうと、ムレを心配する人もいると思いますが、それは素材次第なんだそうです。季節と身体に合った素材をしっかり選んであげれば、それぞれの季節を快適に過ごす一助になるんじゃないかと思います。





 

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