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アンガマ
八重山地方に伝わる、旧盆の慣習

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皆さんこんにちは。本日のお題は「アンガマ」です。ただ、いきなりそう言われても「なにがなんだか」という人も結構いると思います。順番に話して行きます。

「アンガマ」というのは、沖縄の八重山地方に伝わる、旧盆のならわしです。お祭りの一種ではあるんですが、決してパーティー・ピープルがどんちゃんと騒ぐたぐいのお祭りではありません。

沖縄に馴染みのない人には、そもそも「八重山ってどこ?」でありましょう。同県の中心部である那覇市、そこから南西に位置する、与那国島や石垣島をはじめとする大小いくつかの島が集まった島嶼群のことを「八重山諸島」といいます。そのあたりのことだと思ってください。



石垣島宮良川河口
File: Mangrove of Miyara River.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2006年10月)

島嶼群ではあるんですが、人口はあわせて5千人を超えるくらいです。比較的落ち着いた地域と申し上げていいでしょう。島と島を行き来しようと思えば、橋が架けられているなどはないので、空路か航路に限られます。つまり、そうそう気やすくは往来できないということですね。

八重山地方では旧盆を「ソーロン」と呼ぶそうです。お盆が、あの世(彼岸)の人々がこの世(此岸)に一時的に帰ってきて、私達と束の間、一緒に過ごす行事だというのは同地方でも変わりないようです。当地では死者の仮装をした人々がいくつかの家を訪れ、踊りや問答を以って祖霊を供養する慣習があります。それが「アンガマ」です。

具体的にどういうものかといいますと、ウシュマイ(お爺さん)とンミー(お婆さん)が、子供(ファーマー)を連れて家々を巡ります。もちろんこれらは配役で、実際には地元の方々がウシュマイやンミーの面をつけてそういう行事を営むわけです。巡回先は、保育園やホテル、あるいは新婚さんなど祝い事があったお家、または新盆(家族の誰かが亡くなってから初めてむかえるお盆)をむかえるお家などだそうです。

ファーマー(子供)たちは三線や笛などの楽器で琉球王国時代から伝わる伝統音楽を演奏しながら、ウシュマイとンミーの後をついて回ります。



ウシュマイ(お爺さん)とンミー(お婆さん)の面
File: Ishigaki yaimamura angama.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年7月21日)

一行はまず家の縁側からむかえられて、その家の仏壇に拝み、念仏踊りを披露します。それから、見物客がウシュマイとンミーに対して、いくつかの問答を行ないます。この質問内容には、死者の国に関するものが多いそうです。まぁそれはそうですよね。彼岸からの来客なのですから。で、それらの質問にどう答えるかがウシュマイとンミーの腕の見せ所だそうです。つまり一種の話術が要されるのですね。この問答を拝聴するのを楽しみに、「アンガマ」に集まる人も多いのだとか。

こう聞くと、おごそかなのかフランクなのか分からないと首を傾げる人もいるかもしれません。言うまでもなく、そこには「死者への礼儀」が大前提として通底していると思います。でもそこまで肩肘張ったものでもないのか、この祭事はジュースやお酒を飲んだりしながら行われるということです。

「アンガマ」の一行が、いつごろどこに出没するか、大まかなスケジュールは事前に地元の新聞や広報誌に掲載されるそうです。こういった情報をたよりに見物客は「アンガマ」を見ようとするのですが、時間や訪問先がアドリブ的に突如変更されることも珍しくないとのこと。いいですね、そういうの。

この祭事は、見物客や観光客も自由に観覧できます。ただし、場所は(当然)一般の個人のお宅ですから、マナーは守らなければなりません。その意味でも「パリピがどんちゃんと騒ぐたぐいのお祭り」ではないのです。

個人的には、こういうささやかな祭事を、「いいなぁ」と思います。なによりそこでは死者と生者が地続きになっている。つまり死者と生者が切れていないのです。だから、お酒を飲みながら悠然と死者を歓待もできるし、彼らと問答だって楽しくできるのだと思います。これって存外に、幸福なことじゃないでしょうか。

ここ数十年、日本各地で日常から「死」が遠ざけられました。昭和中期までは自宅で亡くなる人は至ってあたりまえにいましたし、葬儀だってその家で家族が開いたものです。今でも家によってはそうするでしょう。でもいつのまにか大勢の人が「生老病死」を病院にアウトソーシングしてしまい、「死」は私達の日常生活から巧妙に隔離されてしまいました。なにしろ路上に動物の死骸があれば、何時間かのうちに役所がさっさと片付けるほど、それは徹底しています。こうした風潮が一般化して、「死」が実感として分からない人が全国的に増えてしまった。それを鑑みると、生者と死者が地続きになっている八重山の文化が、すごく健全なものに思われるのです。





 

Eyo (Saidai-ji)
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Angama
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