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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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西大寺の会陽
または、ささやかな極私的な提言

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本稿を書いているのは2021年の師走である。取り立てて言うまでもなく、寒い。私が暮らす大阪(関西)にも、年末年始には例年にない寒波が襲来するという。気象ニュースがそう言っておどかしているらしい。子供であれば雪が降っても「ひゃっはー」で済むかもしれないが、多くの社会人にとって、雪は「交通の便が乱れたり道路が滑りやすくなったりして困る」であろう。

何が言いたいかといえば、子供よりも大人のほうが「自然に弱い」である。そして、だからこそ大人には西大寺の会陽みたいな場が必要なのかもしれないなとも思うのである。

「西大寺の会陽」━━と書かれても、おそらく大多数の人は、まず西大寺って何? であろう。その上、会陽(えよう)という単語の意味もピンとこない。あ、これ会場じゃなくて会陽なのね。おおむねそんなトコではないかと思う。だから話はまず「西大寺とは何か」で、続いて「会陽って何なのよ」である。

西大寺とは岡山県岡山市東区にある、千年以上前に創建されたと伝えられる寺院である。宗派は高野山真言宗(真言宗高野派とも)で、山号は金陵山。そして会陽とは、当寺を舞台に、フンドシ一丁になった男達が、真冬の寒いなか、ご利益があるとされる宝木(しんぎ)の争奪戦を展開するという祭事である。その宝木を手にした男がその年の「福男」になれるという。まぁ簡潔に言えば「裸祭り」である。



西大寺の本堂に群がる男達
File: Hadaka Matsuri (-Naked Festival-) in Saidaiji, Japan.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年2月18日)

毎年2月の第3土曜日に催されるこの祭りの発祥は一説には16世紀だというから、結構長い歴史があるらしい。

ちなみに、出産をご経験の方にはご存じであろうが、外陰部(金的やワギナ)と肛門の間の部位を会陰(えいん)という。あれと会陽には何か関係があるんだろうか? 私なりに調べてみたが、分からなかった。

話を戻せば、裸祭りとは普段衣服をまとい、人工物に囲まれて暮らす人間が、自然物に帰る営みでもある。何年か前に「ありのままの姿見せるのよ」という歌が流行ったが、本来「ありのままの姿」とは生まれたままの姿で、つまりは裸体を意味する。



西大寺の会陽に参加した男達
File: Hadaka Matsuri small.JPG
from the Japanese Wikipedia
(アップロード日:2007年4月1日)

当今、裸祭りは「野蛮」とか「下品」となじられたりするし、はたまたコロナ禍の影響で「あんなもんウイルスに感染したいとしか思えない」と評されたりもしよう(そういえば新型コロナウイルスも自然の一種で、だからか子供より大人のほうが重症化しやすいという)。それだけ私達は普段人工物に囲まれていて、ゆえに自然な状態に激しい違和感を抱くということでもあろう。

しかし私達はどこまでいっても自然物でしかない。最近では、不調な脳味噌を抱えた人達が「脱炭素」などと触れ回っているが、もし本当に「脱炭素=いいこと」であるならば、それを言う人には即刻、自死して頂きたいと思う。人間を含むだいたいの生命体は炭素生命だからである。だから人体は燃え、燃えて炭になる。もし「脱炭素=いいこと」であれば、まずは自分が手本を示す形で「脱炭素=脱生命」を実践すべきであろう。

そういうことが分かっていない。それこそ自らが自然物だという実感が著しく欠けている証左ではないか。私はそう愚考する。

西大寺の会陽では、参加者はありのままの姿(=裸体)になることが要請される。それは自らが自然物である自覚を、多少なりとも取り戻す契機になりえると思う。そして、現代人にはそういう機会が必要であろう。結局、私達は自然から生まれたものであり、どこまで周囲に人工物をちりばめようと、自然とは共生せざるを得ないのだから。

付言すれば、裸祭りを実演するべきはむしろ女性であろうと思っている。

というのも、自らを自然から遠ざけ、人工物に近づけるという営為は、男性より女性にこそ顕著だからである。女性の多くは化粧という「自らをありのままの状態から人工的なものへと至らせる営為」に日々勤しんでおられると思う。そういうありようを否定する気は毛頭ない。それどころか敬愛の感すらある。でもたまにはそういうのを忘れて本来的な自分に帰化する機会も必要なんじゃないの? かように考える次第で、決して裸の女性の大群が見たいからという下心からではない。





 

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