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■ 2月29日から3月30日にかけて、文房具をフィーチャーいたします。







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ひろしまフラワーフェスティバル
または、広島に戦後なにが起こったのか

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「FF」と聞くと、個人的には「ファイナル・ファンタジー」が思い浮かぶ。人によっては「ファットフリー(無脂肪)」が連想されるかもしれない。広島県民の多くは、「FF」から毎年5月3~5日に催される「ひろしまフラワーフェスティバル」を連想するのだろうか。



2011年のひろしまフラワーフェスティバルの様子
File: Hiroshima FF 2011.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2011年5月5日)

祭りには大きく分けて2種類がある。地域の住民が自分達の共同体のためにと催す「儀式」的な色合を持つものと、企業が経済的なリターンを第一義に設定して催す「集客・集金マシン」的なもの。ひろしまフラワーフェスティバルは後者である。地元の新聞社や商工会が中心となって、何百万単位の人を集められるイベントをということで1977年に開催された。初回動員数は120万人以上。催しの中身は、有名人が登場するステージや市民によるパレードなどとなっている。

メイン会場は、観光スポットとしても有名な平和記念公園(小学校の修学旅行で行ったな)であるため、一部からは「そういう鎮魂の場でいささか不謹慎に過ぎないか?」という意見も出るかもしれない。



ひろしまフラワーフェスティバルの花の塔(2005年)
File: FF2005 hana no to.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2005年5月4日)

逆から言えば、初めて開催された1970年代半ば当時には、そういう意見が出なかったか、あるいは出ても黙殺されるほど、お祭り騒ぎへの渇望が人々の間に瀰漫していたということである。

1964年、東京でオリンピック大会が開かれ、1970年には大阪で万国博覧会が開催された。それまで日本人は敗戦からの復興に手いっぱいだったので「本当に日本は、海外の人達を招いて国際的なイベントをちゃんと催せるんだろうか」と不安に思っていた。しかし、オリンピックと万博が「成功」した後は、もう怖いものなしである。呼べるものなら何でも呼ぼう。1972年には札幌で冬季オリンピック大会が開催。また、万博の年以降の日本のテレビではアラン・ドロンやオードリー・ヘップバーンなど外国の有名人が、CMに頻出するようになった。

1974年には、ルーブル美術館からモナ・リザの絵が日本に運ばれてきた。これを見るために列を作った人の数は、じつに150万だという。1975年にはイギリスのエリザベス女王が初来日。昭和天皇を始めとする皇室の面々が迎えた。1980年代に入ると日本各地で「地方博」がブームになる。それを「繁栄の時代」と言う人は言うだろうが、要するに1970年代というのは、日本中が浮かれていた時代なのである。

ひろしまフラワーフェスティバルの登場は、そういう空気があってのことだというのは間違いない。だから、平和記念公園という鎮魂をメイン・テーマとする場で「フラワー? そんなのは名目に過ぎんよ。とりあえず人が集まって、わいわい騒いでカネを落とせば、それでいいんだから」的なイベントが公然と開催され、それに対する疑義の声は黙殺される。



平和記念公園の慰霊碑
File: Cenotaph Hiroshima.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2006年4月5日)

この「一億総パリピ化」の原動力はなにか? 1976年、戦後生まれが日本の総人口の半分に達したと報じられた。敗戦の1945年から31年だから、当時は日本人の半分が31歳以下だったことになる。当時の日本は若かった。ただそれだけであろう。若さとは闇雲にエネルギーが溢れている状態であり、若さを抱えた人が多数派を形成すれば、既存の秩序を揺るがす力にもなる。

であればこそ、平和記念公園という鎮魂の場でお祭り騒ぎを催しても「それのなにが悪い?」と開き直れるし、田中角栄という「元総理大臣」の逮捕劇も、この時代に起こるのである。

2021年の今年は、ひろしまフラワーフェスティバルが開催されて44年の年である。当時の若者達は老いた。しかし少子高齢化で人口減少の時代、彼らは老いてなお多数派でありえる。そして、老いた彼らは「既存の秩序」を体現する側にもなる。だから、ひろしまフラワーフェスティバルをやめようとか、違う場所にしようというアイデアは生まれない。そういう声は、黙殺される。フラワーフェスティバルはもはや広島の「秩序」に組み込まれており、それが「儲かる」という正義を実演している以上、変更を受け付けるなどはとんでもない━━と。

それはなにを物語るのか? 広島の「停滞」であろう。浮き足立って催されたかつてのお祭り騒ぎは、その後になにも生み出さず、ただ「恒例行事」という空虚な「体制」になる。こういう皮肉も、ひろしまフラワーフェスティバルの一面にはあるのかもしれない。





 

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