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長岡まつり
明治の世から第二次世界大戦を経て

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こんなことを言うと怒る人もいるかもしれないけど、日本の祭には、その主旨(テーマ)や起源を聞くと、祭の内容といささか合っていないのではと訝ってしまうものも多いような気がする。それを十把一絡げに「よろしくない」とか言うわけではない。ただ日本の祭には、クリアカットに「この祭は〇〇だから△△をするんです」と言い切れない、複雑な成り立ちのものもそれなりにあるんじゃないかというだけである。

新潟県長岡市で毎年八月一日から三日にかけて催される長岡まつりも、やはりそういう「起源や事情が若干こんがらがった祭」の一つに数えていいのではと個人的には思う。

長岡まつりとはどういうものか。第二次世界大戦末期、一九四五年の八月一日から二日にかけて、長岡は空襲に遭った。ボーイング社の爆撃機「B二九」が百二十五機飛来して、実に十六万発以上の焼夷弾を投下したのである。被災戸数は約一万二千を、死者数は約千五百を数えた。ジェノサイドと言って申し分ない戦災だろう。そこからの復興を祈願して、翌一九四六年に催された祭が、長岡まつりの発端であるという。



空襲を受けた長岡の景気
出典: Wikimedia Commons
(撮影:1945年)

これだけなら話は至ってわかりやすい。長岡まつりとは慰霊祭であろう。それで片がつくはずである。しかし話はここから(いささか)ツイストを効かせ、迷宮的になっていく。

長岡まつりは「日本三大花火大会」の一つに数えられるほど、ふんだんに打ち上げられる花火を名物とするイヴェントである。当地で大がかりに花火が打ち上げられ始めたのは一八七九年。正式な花火大会になったのは一九〇六年だという。どちらにしても明治時代の話であり、当時、第二次世界大戦は始まってもいない。つまり長岡まつりにおける花火は、戦災とも慰霊とも本来的に関係ないのである。



長岡まつりの打上花火
出典: Wikimedia Commons
(撮影:2017年8月3日)

まあ、それはそうだろうなと思う。打上花火は、どんぱんと空気を裂くほどの大きな音を伴う。あの音から大砲や銃声を連想する人もいるだろう。ああいう音を聞いて、焼夷弾で絨毯爆撃的に殺された被災者が安らぐかどうか。それを思うと、「戦災で落命した祖霊を慰安する」というコンセブトから花火大会はなかなか生じないかもしれない。

当地ではもともと夏に花火大会が行われていた。そこに戦災が起きたことで、戦後に慰霊祭的な性格がドッキングした━━長岡まつりとは、こういう複雑な成立事情を持つ祭なのだと思う。だからその祭の概要についてとなると、説明が若干入り組んでしまう。

繰り返しになるが、個人的にはそういうありようを非難しようとは思わない。昨今の人は、なんでもかんでも単純化したがる傾向があるように見えるけど、一筋縄では行かない複雑性だって一方では重要だろうと考えるから。もちろん何事も難解であればあるほど好ましいというものでもないけど。

さて、具体的に祭はどのように催されるのか。八月一日には前夜祭と呼ばれる(二〇一七年以降は「平和祭」と呼ばれている)灯篭流しや音楽隊の行進をメインに据えた、どちらかといえば粛々とした祭が開かれる。恐らくはこの日が「慰霊祭」に相当するのだろう。打上花火もそこまで派手ではないという。

とはいえ、首を傾げる点もなくはない。たとえば、この日の行事には、米国のモーター・ブランド「ハーレー・ダヴィッドソン」のパレードもあると聞く。ハーレーそのものは立派なブランドかもしれない。でもこれが米軍に虐殺された祖霊への供養に、果たしてなるんだろうか? 私が地元の人だったら、その行進を決して晴れやかな気持ちでは見られない気がするのだけど。

続く二日と三日は、夕方の花火大会を主にする祭である。長岡駅前には明るいうちからさまざまなブースが立ち並び、人々を迎える。ブースのテーマはそれぞれで、昨年(二〇二二)は「体力測定」や「地震体験」など、なかなか他の祭ではなさそうなコーナーも設けられていたという。

夕闇があたりを薄暗くする時間帯になると、日本一長い川として知られる信濃川の河川敷で、花火大会が始まる。大会はチケット制が採られるほど大規模なものであり、交通規制も大々的に敷かれる。二〇二〇~二一年は、新型コロナウイルスのパンデミックを受けて祭は中止となったが、翌二二年は三年ぶりに無事開催された。



長岡まつりの打上花火
出典: Wikimedia Commons
(撮影:2018年8月2日)


長岡花火大会 公式サイト





 

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