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因州和紙
鳥取で作られてきた和紙

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こんにちは。今回は「因州和紙」という、まぁ鳥取県(旧因幡国)で作られる和紙がお題です。ところで皆さんの日常の中で和紙を使う場面って、どういうシーンが思い浮かぶでしょうか。いろいろあると思います。障子の紙とか日本銀行券(紙幣)とか。

とはいえ、和風建築にお住まいの方でも、障子の張り替えはしたことがないという人も結構いるでしょう。そういう仕事はもっぱらご主人(奥さん)任せにしているとかね。別にここで家事の分担をどうこう言うことはないんですが、それだと障子の紙を「使っている」とは感じにくいと思います。それに紙幣にしても、「お金を使っている」感はあっても、「和紙を使っている」感はほぼないですよね。「貨幣」という抽象概念に用があるだけで、和紙という媒体はなかなか前景化しないというか。

で、独断と偏見で言わせて頂くなら、私たちが和紙を(意識的に)使う最初の場面となると、大抵の場合、習字で使う半紙になるんじゃないでしょうか。私はそう愚考します。小学校あるいは書道教室で使う、あの書道用紙です。勘のいい方はもうお気づきかと思いますが、全国で使われる書道用紙のうち、実に約6割が因州和紙なのです。これは当然、シェア日本一です。



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和紙の生産と聞くと、おおかたの人は、あんまり良い状況を想像しないと思います。やれ生産性が低いだとか、後継者不足だとか、需要がほとんどないだとかね。確かに、多くの和紙生産の現場はそういう状況を呈しています。それは否定できない。でもこの因州和紙の場合は、どうもちょっと具合が違うんですよね。もちろん、産業としては全盛期より衰退したというのはあるんですが。

戦後、日本人の生活の西洋化に伴い、洋紙が普及。これを受け、多くの和紙産業が衰退しました。因州和紙も、ご多分に漏れず。そこで鳥取県人が目をつけたのが習字です。1950年代前半の当時、GHQによる占領政策が終わり、日本は表向きだけ主権回復を果たしました。これに伴い、学校教育では、それまで禁止されていた毛筆による書道教育が解禁。ここに書道用紙としての和紙の需要が大量にあると、鳥取県人は着目したわけです。それが大当たり。かくして、今日までシェア過半数を獲得し続けているという次第です。

因州和紙とよその和紙の差は奈辺に由来したのか。それは突き詰めて言えば、アピールの手腕ではないかと思います。伝統や機能性などを上手にアピールすることで地位を確立していった。これは、たとえば京都などにも言えることだと思います。歴史としては奈良の方が古いのに観光地としては京都の方が人気がある。これは京都が歴史や伝統をうまく活用し、アピールした成果ではないでしょうか。

因州和紙はミツマタ(フトモモ目ジンチョウゲ科)やコウゾ(バラ目クワ科)を原料とし、作られてきました。そのため毛筆と相性が良く、書道用紙として使い勝手が良い。そういう要素はもちろんあったでしょう。でもそれだけじゃなくて、たゆまぬ営業努力がものを言った。そういう要素もあるんじゃないかなと思います。実際、因州和紙は、和紙としては全国で初めて(経産省から)伝統工芸に指定されたわけですし。





 

白石和紙
宮城県白石市で作られてきた和紙