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杉原紙
昭和期、兵庫県で再興された和紙

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何を唐突に、と思われるかもしれませんが、まずここで、現代の日本が抱える問題の一つについて言及しておきたいと思います。それは「供給過剰」です。何につけても供給力があり過ぎる。だからすぐ需要を満たしてしまうのです。当然、それで景気など良くなるはずがありません。

たとえば、日本の食料品の約3割は廃棄されます。食べ物からして、供給過剰なのです。スーパーに行けば、まぁ大抵、閉店間際まで食料品がぎゅうぎゅうに陳列されていますよね。コンビニでアルバイトをしたことがある人は、廃棄処分されるコンビニ弁当が一日あたりどれくらいの量になるか、ご存知でしょう。こうした過剰供給が、様々な分野で行われています。

「なるほど、ではその通りだとして、それがお題目の『杉原紙』と、どう結びつくのだ?」と訝しく思われることでしょう。お待たせしました。ここからは杉原紙そのものに言及していきます。



杉原紙
出典:Washi(Sugihara paper).JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2005年8月27日)

杉原紙は中世の時代、東北から九州にかけて、つまり日本中で親しまれた和紙です。当然、そのヴァリエーションは多岐にわたりました。大まかに言うと、「コウゾ(バラ目クワ科)を原料とし、米粉が添加されており、凹凸がない」和紙が杉原紙であるということだったそうです。

しかし時代がくだり、江戸、明治あたりになると、他の和紙や西洋紙の普及に伴い、杉原紙は使われなくなりました。需要が減れば供給も減ります。杉原紙の生産は、ついに絶えてしまいました。久米康生さんの『産地別 すぐわかる和紙の見わけ方』(東京美術、2003年)に徴するに、杉原紙は大正末期には市場から完全に姿を消していたとあります。

もちろん、ここで「はい、それまでよ」という話ではありません。俚諺いわく「捨てる神あれば拾う神あり」。失われた杉原紙について調べようという言語学者や文学者が、昭和前期に現れたのです。『広辞苑』といえば辞書の代名詞ですが、その初版の著者として有名な新村出(言語学者)も、杉原紙について調査した一人だったそうです。

で、調査の結果、どうやら兵庫県の杉原谷村(現在の多河町)が、杉原紙の発祥の地なんじゃないの、ということになりました。

この調査結果を受け、1972年、町の出資により、多河町(当時は加美町)に杉原紙研究所が設立され、そこで杉原紙の生産が再開されました。ただし、現代の製法は古のそれとは異なり、米粉が添加されていません。米粉を使うと虫害に遭いやすくなるから使わないようにしているそうです。ために、当今の杉原紙は中世日本で親しまれたそれとは(根本的に)異質なものだそうです。現在の杉原紙は、古のそれよりも強靭であるのだとか。



町立杉原紙研究所 外観
出典:Sugiharagami research center.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2018年3月4日)

1983年、杉原紙は兵庫県の無形文化財に指定されました。文化的に貴重なものですよ、と。ただ、そうは言っても、現代日本の製紙業において、杉原紙は決してメジャーな存在ではありません。実際、皆さんの周りにそうそうないと思います。現段階で杉原紙は、せいぜい町の特産物といったところです。近畿圏内に住んでいても、普通に生活している限りまずお目にかかりませんし。しかしどうあれ、杉原紙は、一度は失われたその存在を取り戻し、今日に至るまで(細々と)製紙され続けているのです。

その歴程を見るにつけ、思います。需要が満たされている以上━━現代の日本で、紙が足りなくて困っているという人はそんなにいないはずです━━、供給を減らすしかないではないか、と。供給を減らしてもゼロになるわけではありません。たとえゼロになっても(運次第では)再興されることもあるのです。そこは後世の人に託すしかないところでしょう。

未だ昭和期の幻を求めて、経済成長だ、成長戦略だ、オリンピックで復興だ、などと喧伝する人がいます。ああいうのを時代錯誤というのでしょう。土建業とて基本的には供給過剰なのです。だからオリンピックや万博で需要を作ろうとしても、焼け石に水。好況に沸くわけがありません。確実なことは、日本の総人口は段々と減じているということです。ならば総需要も、当然減ります。それに合わせた供給を適宜設定するのが、とりあえずは妥当である。杉原紙の歴史はそう教えているのではないでしょうか。





 

黒谷和紙
京都府綾部市で作られてきた和紙

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宮城県白石市で作られてきた和紙