今は少しマシになったかもしれないが、二十世紀のうちは、地方の人の中には「東京で一旗あげてやる」と息巻く人が結構いた。それくらい東京という町が日本の頂点として広く認識されていたとも言えるし、ストレートな上昇志向を持つ人が全国に遍在していたとも言える。ある意味、世界は今よりずっと単純にできていたのかもしれない。良いか悪いかは別にして。
この稿で取り上げるのはカルビー社のポテトチップスだが、カルビーもそういう「成り上がり志向」を持つ会社だった。
一九四九年、日本がまだGHQの占領下にあったこの時代の広島で、松尾糧食工業という株式会社が設立される。この会社が一旦倒産し、五五年に再起した時に「カルビー」という社名が掲げられた。もともとの社名からご賢察のように、松尾糧食工業は松尾という人が作った会社だった。だから先ずは創業者=松尾孝について触れることにする。
松尾孝は一九一二年七月に広島県で生まれた。家は米ヌカなどの穀粉の製造、販売を営んでいたらしく、幼少期は比較的裕福に過ごせたという。しかし時代が昭和という混乱期に入ると、世相の波に翻弄され、豊かな暮らしは音もなく崩れてゆく。昭和一桁、つまり一九二六~一九三四年の間に松尾の父母は相次いで他界。さらに松尾の父は、米相場の暴落で多額の借金を残していた。苦境に置かれた松尾は、悲しみに暮れる余裕などなく、借金を返済するべく家業に明け暮れた。
一九三七年、松尾が二十五歳になるこの年、日中戦争が開戦する。四一年には太平洋戦争も始まり、日本全体が救いのない泥沼に突き進んでいくわけだが、この頃には兵役法によって現役世代の一般市民も軍隊に「召集」されるようになっていた。当然松尾も召集されるのだが、そのタイミングというのが一九四五年の七月。ご承知のように翌八月にはアメリカ軍によって広島と長崎に原子爆弾が投下されるが、召集を受けて福岡県にいた松尾は被爆を免れた。
敗戦後、松尾はもともとあった「松尾食糧工業所」を株式会社に改組し、家業に精を出す。ただし当時の同社は地方の小規模な零細企業でしかなく、つまり(現在のカルビーと比べると)安定性に欠けていた。当時の彼らの主要市場は九州だったのだが、ここが一九四九年八月のジュディス台風、一九五三年六月の大規模水害により、壊滅的ダメージを受ける。たとえば後者の水害で出た死者・行方不明者は合わせて千人超にもなり、これは二〇一八年の西日本豪雨によって出たそれの約四倍の数にあたる。
メインの市場が市場として機能しなくなった以上、松尾の会社も立ち行かなくなるのが道理で、五三年秋、同社は敢え無く倒産する。二年後に再スタートを切った際に松尾が自社に冠した社名が「カルビー製菓」で、これが今日に至るまで続く「カルビー」の第一歩と言って差し支えないだろう。
戦前から戦後に至るまで西日本で過ごしていた松尾にとって、東京は文字通り「花のお江戸」だった。だからいつかは自社商品で東京を制したいと願った。そこでふと思いついたのが、六〇年代後半にアメリカを視察した際に見かけたポテトチップスだった。当時のアメリカは、日本人にとって「にっくき仇敵」であると同時に、豊かさの象徴、憧れの的でもあった。そして日本ではポテトチップスはまだ普及していない。これを自社で作れば「花のお江戸」を、いや全国を席巻できるんじゃないか。松尾はそう考えたのである。
ポテトチップスというくらいだから、主な原料はジャガイモである。ジャガイモの名産地といえば、今も昔も北海道。よし、北海道に工場や貯蔵庫を作ろう。松尾は六〇年代後半以降、虎視眈々と「ポテトチップスで全国制覇」を狙い、着々と準備を進めた。七三年に本社を東京に移転し、七五年九月、晴れて一般市場にポテトチップスをリリースする。最初は北海道限定だったが、翌十月には東京でも販売開始。以降は人気を博し、今に至るまで同社の看板商品の一つとして、さまざまなフレーヴァーのポテトチップスが展開されてきた。
同社のポテトチップスは、八〇年代には国内のポテトチップス市場の七割以上のシェアを獲得するまでに広まった。その様子を見届けて安心したのであろう松尾は八七年、社長職から退く。やがて平成期に入ると、日本経済のバブルは音もなくはじけて、平成の折り返し地点でもある二〇〇三年の秋、九十一歳の松尾は「花のお江戸」の病院で息を引き取った。
それ以降のカルビーのポテトチップスについては、個人的にはマイナスの印象が強い。一九七五年の発売当時、九〇グラムで百円だったポテトチップスは、二〇〇七年に(コンビニ用商品の場合)八五グラムに減量。以降も段階的にダウンサイジングされ、二〇二六年現在、コンビニ向け商品は七〇グラム、それ以外の店舗向け商品は五五グラムにまで減量されている。少ない。それでいてしっかり値上げもされている。
ポテトチップスは、カルビー創業者=松尾孝の夢だった。苦境に置かれた人は夢を見て、その夢で自分をなんとか奮い立たせて苦境を乗り越えようとする。戦前、戦中、戦後と困難に見舞われ続けた松尾は、「いつかは自社商品で花のお江戸を制覇する」という夢を胸に、数々の難局を乗り切ってきた。その夢を託したのがポテトチップスなのである。そのポテトチップスに、消費者目線でマイナスと目されかねない醜態を演じさせるのは、個人的にはどうなのかなと訝しむ。創業者に対して、それで申し開きできるんやろかと。