ちゃんぽんとはどんな料理か? 麺料理である。外見はラーメンと酷似しているが、麺が違う。ラーメンと比べるとやや太めで、食感はもっちりしている。これはちゃんぽん麺というらしい。この麺に関しては何やらややこしい規定があるらしく、長崎県内の規定を守って製麺しないと「長崎ちゃんぽん」を名乗れないらしい。アッチョンブリケ。ともあれ、長崎ちゃんぽんの独自性は、麺にあると言えようか。
スープは、鶏ガラから取るという人もいれば、豚骨から取るという人もいる。人生いろいろ、スープもいろいろ。その他の具は、豚肉、野菜、魚介類、カマボコなど(「ちゃんぽん」というくらいだから)何でもありである。
中華料理店「四海樓」のちゃんぽん
File: Shikairo Nagasaki Japan05s.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2011年12月23日)
「ちゃんぽん」という言葉には、「ごちゃ混ぜにする」という意味がある。酒飲みのかたなら、「お酒をちゃんぽんする」という表現をどっかで聞いたことがあるのではないだろうか。ひとつのコップやボトルに、いろんなお酒を混ぜちゃうんですな。大抵の人は飲んだ後に吐くらしいですけど(やったことはないし、やろうとも思わない)。そう言えば、沖縄料理の「チャンプルー」も、語義は同じく「ごちゃ混ぜにする」らしいから、もしかしたら、ちゃんぽんとチャンプルーは(言語的に)同根なのか。
ではそのちゃんぽんは、いつ長崎に根付いたのか?
菊地武顕の『あのメニューが生まれた店』(平凡社)に徴すると、ちゃんぽんが長崎に生まれたのは明治中期のことらしい。当時の長崎には清国(現中国)から多くの留学生が訪れていた。長崎の中華料理店「四海樓」の初代店主は、かの外国人留学生たちに、安くてヴォリューミーな料理を食べさせてやりたいと思った。そこで福建省(「四海樓」の初代店主の出身地)の福建料理を基にした麺料理が考案された。留学生のみんなが故郷の味を思い出して、美味しいと喜んでくれればいいのだが。そんな想いが込められていたのかも知れない。ともあれ、これが長崎ちゃんぽんの原形であったという。
一方、澁川祐子は『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)の中で、明治初期にはもう長崎市内で「ちゃんぽん」の名を冠された食べ物があったと語っている。『羅生門』しかり、真相は藪の中である。だからして、郷土料理と呼ばれるものが往々にしてそうであるように、「いつの間にか長崎に根付いていた郷土料理」というところが妥当なのかも知れない。