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富士ミネラルウォーター
世界恐慌の年に堀内良平が売り出した水

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1929年(昭和4)は世界恐慌の年である。学生時代に世界史を学んだ者にとっては、そうであると思う。世界恐慌とは何かと言うと、同年秋にアメリカのニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、バブル(=好景気)がはじけた事象である。

1918年11月、第一次世界大戦が終わった。アメリカは戦争の当事者でもあったが、イギリスやフランスに戦争のための資金を貸す「金貸し」でもあった。だから戦争が終われば、アメリカには黙っていてもカネがたんまりと流れてくる。当時のアメリカは、いわば世界一の「金貸し」であり、1920年代には「我が世の春」を謳歌していた。潤沢な資金を元手に他国にカネを貸す。やがて利息付きでそのカネはアメリカに戻ってくる。世界中のカネがアメリカへ流れ込んでくる。笑いが止まりまへんわ、であった。そして、そのアメリカがコケたので、世界中がコケた。これが「世界恐慌」である。

その1929年の夏、日本で最初の(炭酸を含有しない)ミネラルウォーターが世に出た。同年に堀内良平(1870-1944)が設立した堀内合名会社が製造販売していた「日本ヱビアン」━━現在の「富士ミネラルウォーター」である。堀内は富士急行や都営バスの創業者として知られる実業家で、富士身延鉄道(現在の身延線)の設立、経営にも関係していた。同鉄道の敷地で湧出した天然水をボトリングして売り出したのが「日本ヱビアン」であった。ちなみに商品名が「富士ミネラルウォーター」に改められたのは、彼が亡くなって2年経った1946年である。


「富士ミネラルウォーター」

内容量:500ミリリットル
硬度:約38
採水地:山梨県
堀内合名会社は1996年、現在の「富士ミネラルウォーター株式会社」へと屋号を変更。戦後、同社は「高級天然水の会社」というポジションを確立してきたらしく、東京サミット(1979)や伊勢志摩サミット(2016)などの国際会議でも、同社の商品は常飲され続けてきたという。

しかし、何と言っても同社は「堀内良平が設立した会社」である。それが大本であることに、異論を挟む者はいないと思う。なので、ここでは堀内良平とは何者なのかを言及してみたい。

堀内は、端的に言えば、明治から昭和にかけての実業家、政治家である。彼はまだ江戸時代の空気が残る明治3年(1870)に、甲斐国東八代郡(現山梨県笛吹市)に名家の長男として生まれた。彼のキャリアには、落ち着きというものは見られず、村役場の役人になったり、烏丸光亨伯爵の邸宅で私塾を開設したり、報知新聞の記者になったりと、転々としている。

で、彼が何をしたのかをまとめると、生まれ故郷の山梨の富士山やその周辺を観光名所に仕立てあげ、鉄道や交通網を敷設、誘致するなどし、地元にカネが流れ込む仕組みを作り上げた、ということになると思う。要するに、富士周辺を観光開発したと。

もちろん、それは大事業であり、いかに財力と権力があったとて、堀内一人の力では為し得なかったことである。有名無名問わず、多くの人の尽力があり、消耗があり、疲弊があった。しかし、富士の「観光事業の確立」において彼は確かに重要な位置を占めていた。当今、富士山周辺は日本有数の観光地、景勝地として知られるが、それは堀内の功績と言っていいであろう。

おそらく、富士ミネラルウォーターは観光名所としての富士の宣伝、その一環で生み出されたものであると推察する。観光地によくある、ご当地限定グッズみたいなものではないかと。同社が「富士」を商品名に冠し続けているのも、富士山がブランド化に成功したからであろうし。

それが「身体に良い」のか「高級」なのか、それは私の知るところではない。

富士ミネラルウォーター




 

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