「一生一度は伊勢参り」。父はそう信じており、だからこそ、私を連れて伊勢参りをしようと思ったのだろう。当時の私はというと、そこまで宗教心に篤いことはなかった。だからというわけではなかろうが、伊勢神宮がどんなだったとかは、ほとんど覚えていない。ただ一つ覚えていることがある。伊勢参りの帰りに食べた伊勢うどんがマズかったことである。
伊勢うどん
File: Ise-udon-01.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2006年11月18日)
まず断っておくが、伊勢うどんがマズいというのは、あくまで個人的な感想である。伊勢参りの帰りに一軒の定食屋に寄った。そこで父と2人で食べた伊勢うどん。それがマズかった。これは2人に共通した感想だった。なんやこれ、ゲロマズやん。2度と食わへんわこんなん。父も私もそう思った。だから伊勢うどんという料理そのものが全般的にマズいのか、それともその店で供された伊勢うどんがたまたま不出来だったのか、そのへんはわからない。なんという店だったのかも覚えていない。
伊勢うどんという料理そのもの。
前言を撤回するようで恐縮だが、「伊勢うどん」という料理そのものはない、と言っていいかも知れない。というのも、「伊勢うどん」という名称が普及したのは、戦後になってからのことだからである。1971年頃、それまで伊勢では単に「うどん」と呼ばれていた料理を、永六輔(1933-2016)が「伊勢うどん」としてラジオや本で紹介した。それを知った伊勢市の麺類飲食業組合が、当地のうどん料理の名称を「伊勢うどん」に統一しようと立案。かくして「伊勢うどん」は現在のように普及することとなった。
(毎日新聞2016年7月11日参照)
だから「伊勢うどん」とはどんなものかというのは、店によって(あるいは調理する人によって)大きく異なるのかも知れない。
それを踏まえた上で、あえて平均的な特徴を挙げるならば、つゆがないことである。うどんと聞くと、熱めのうどんつゆに茹でたうどん麺が浸かった、いわゆる「素うどん」を思い浮かべる人が多いと思う。ですよね? ところがギッチョン、伊勢うどんにはそのつゆがない。じゃあ冷やしうどんなのか、と言うとそうでもない。1時間弱くらい茹でた柔らかめのうどん麺に、醤油ベースの黒いタレを絡めて、はい出来上がり。それが伊勢うどんなのである。
「え、それだけ?」と思われるかも知れないが、それだけなのである。存外にシンプルというか。もちろん、トッピングで刻みネギやカマボコが付くことはあるけれども。
だから突き詰めて言えば、伊勢うどんを愛好するに至るには、2つの壁があるわけである。まず「柔らかい(コシがない)麺を愛せるか」。そして「タレとの相性」である。このタレが具体的にどういうものかは、それこそ店によって(調理する人によって)違う。父や私は、この2つの壁にはじき返されたのだと思う。それはそれで仕方がない。でもそう考えると、食べる人を選ぶというか結構ハードルの高い料理なのかも知れない。