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咖喱屋カレー
ククレカレーの(実質的な)廉価版

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1999年、空から恐怖の大王が降りてくる━━なんてことはなかった。その代わりに(というわけでもないんだろうけど)日本の首都東京では石原慎太郎が都知事選に立候補し、大量の票を獲得して圧勝。都知事となり、以降10年以上その座に君臨することになった。やがて彼は、俗に言う「豊洲問題」を起こし、それをごまかすためなのか「東京には夢が必要だ」という妄言を吐き、東京にオリンピック大会を誘致する。どうやら前世紀末には、ある意味で現在(2021年)まで続く「何か」が始まったようなのである。

それは何も都政に限った話ではない。日本のレトルトカレーの世界でも、その「何か」は始まっていた。1999年はハウス食品が咖喱屋カレーを販売開始した年でもあるから、そう言っていいと思う。

咖喱屋カレーとは、ハウス食品が1971年より展開しているククレカレー、その実質的な廉価版である。現在、数多あるレトルトカレーの中でトップクラスの売れ筋商品だというけれど、実はククレカレーと咖喱屋カレーの間には、中継ぎを務めた商品が存在する。咖喱工房である。

1991年、咖喱工房というレトルトカレーがリリースされた。同商品のテレビ・コマーシャルでは小林稔侍と安達祐実が共演し、そのキャッチコピーでもある「具が大きい」は広く人口に膾炙した。このコマーシャルで世間の注目を集めた安達は、1994年にドラマ『家なき子』で一躍、時の人となったが、翌95年には小林が咖喱工房のコマーシャルから降板。次第にテレビから咖喱工房のコマーシャルは姿を消し、咖喱工房自体も静かに消滅した。今となっては、咖喱工房は90年代の徒花でしかないだろう。

そうして、その90年代の末葉にあたる1999年にハウス食品が満を持して市場に投下したのが、咖喱屋カレーなのである。

咖喱工房は、そのコピーが「具が大きい」だったくらいだから、贅沢さを前面に出した商品だった。バブル崩壊という言葉が広まるのは1992年で、崩壊が言われる前なのだから、咖喱工房が世に出た1991年の日本は、ヨユーでイケイケの空気だった。日本経済はアジアの片隅で不沈空母のようにどっしりと堅牢にあり続け、貯金は銀行に預けてさえいれば雪だるま式に利息がつき、それが「財テク」ですらあった。そんな時代に「贅沢な感じ」を打ち出す商品を投じるのは、極めてナチュラルなことだった。

しかし、咖喱工房の登場の前後、バブル経済ははじけた。日本国内でその衝撃は実の所、そんなに真剣に捉えられなかった。「好景気は終わりか。まぁお祭り騒ぎが一段落した程度のもんだろう。これで少しはカネの亡者達も反省して落ち着きを見せるんじゃないか。ああいうロクデナシがいなくなると思えば、全体としてはかえって良かったかも知れない」━━多くの日本人はそれくらいに思ってのんびりと構えていた。

もちろん、ダメージはそんな程度では済まなかった。日本の企業の資産は目減りをするばかりで、好調に転じる見込みがほぼない。時の政府は、経済政策を打ち出すどころか、万年与党として君臨していた自民党が分裂、あれほど犬猿の仲と言われた社会党(現社民党)との連立政権すら発足した。「国民を置き去りにして自らの人事ばかりを問題にする自民党」は当時から健在で、なんだか平安時代の朝廷政治みたいだが、かようなありさまで経済が好転するはずもない。不況、不況、不況。それが90年代半ば以降の日本だった。

咖喱工房の登場と消滅は、そういう時代背景を端的に象徴する。

1999年、咖喱屋カレーは市場に現れた。もう贅沢さをアピールして支持を得られる時代ではない。不況なのだから、これからはエコノミカルな安価さをアピールして客を獲得する時代だ。ハウス食品はそう踏んだのだろうが、そう見込んだのは別にハウス食品だけではなかった。2000年には日本マクドナルドが、1995年までは210円で提供していたハンバーガーを65円(平日限定)にすると発表。「安さでアピール」は様々な領野で起きていた。

それは決して「昔の話」にはなっていない。バブル崩壊後の日本では、政界も財界も思考停止が続き、物価は上がって平均給与所得は下がるという「そりゃ不況にしかならんだろ」な状態が続く。だからこそ安価な咖喱屋カレーは今日に至るまでトップセールスを誇り、ククレカレーより遥かに多くのヴァリエーションが展開されている。前世紀末の日本で現在まで続く「何か」が始まり、それがまだ終わっていないとは、そういうことだと思う。





 

ククレカレー
咖喱屋カレーの上位版

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