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■ 9月30日から10月30日にかけて、「郷土料理」をフィーチャーします。







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ククレカレー
咖喱屋カレーの上位版

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ククレカレーは、1971年にハウス食品(当時の社名はハウス食品工業)が販売開始したレトルトカレー。同社の前身は、1926年より大阪でカレー粉の製造、販売を営んでいた浦上商店。このカレー粉の名称が「ホームカレー」だったのだが、1928年に「ハウスカレー」に改称。それが好評を博して、1949年には自社名をハウスカレー浦上商店とし、1960年にはハウス食品工業への改名に至る。

ざっと彼らの沿革を振り返った。ハウス食品は、今でこそ調味料やインスタント・ラーメンなども商う大手(と言っていいだろう)食品会社であるが、もとをただせば「大阪のカレー粉商店」なのである。少なくとも、彼らの歴史の初期において、「カレー粉を扱う」が彼らのその後の運命を決定付けたことは、間違いなかろう。

そんな彼らにとって(ある意味で)屈辱的な点があるとすれば、それは彼らが「レトルトカレーのパイオニアではない」ということであろう。

1968年、現在の大塚食品が世界で初めてのレトルトカレーの販売を(関西地域限定で)開始した。ボンカレーである。

固形のルータイプのカレーに関して言えば、ハウス食品は1960年代から手掛けていた。1963年販売開始のバーモントカレー、1968年のジャワカレーなどは2021年現在も市場に残っているので、お馴染みであろう。だがレトルトカレーとなるとなかなか参入できず、やはり大阪の会社であった大塚食品のボンカレーの独走を、ライナス少年のように指をくわえて見ているほかなかった。それは当時、自社名に「工業」を冠していたハウス食品にとって、屈辱でしかなかったろう。私はそう思う。

とはいえ、いつまでも傍観者ではいられない。1971年、ハウスは自社初のレトルトカレーであるククレカレーを市場にドロップする。この聞き慣れない「ククレ」という言葉は、クックレス(=調理いらず)を意味するらしく、つまりは手軽さのアピールであろう。ちなみに、先駆者であるボンカレーのボンは、フランス語で「良い」を意味するBonである。たまにフランス映画で、フランス人が「ボン・ヴォヤージュ」と声をかけたりするが、聞いたことないだろうか? あれは「良い旅を」の意なのだけど。1960年代というのは、フランスの文化発信力が今とは比べものにならないほど健在であった時代で、フランスに憧れる日本人が多かったのである。

ククレカレーの話に戻ろう。

発売当初は、やはり先駆者であるボンカレー先輩が強かった。強くて、ククレの販売成績はなかなか芳しくならない。しかし時代は、欧米諸国へ憧れる一方だった1960年代を過ぎ、日本固有のサブカルチャー(若者文化)が台頭してくる1970年代へと移行していた。そしてそれがククレカレーの飛躍へと繋がる。

2021年現在、日本の芸能界でアイドルは飽和状態にある。ジャニーズから坂道系、ハロプロ、韓流と、右も左もアイドルだらけ。しかし1960年代はそうではなかった。アイドルという言葉が人口に膾炙したのは、フランスの歌手シルヴィ・ヴァルタンが主演した映画『アイドルを探せ』と、彼女が唄う同名の楽曲が、1960年代半ばの日本でヒットしたことによる。つまり、当時の日本人には「アイドル=フランスの女性」で、日本人の男女はまだアイドル足り得なかったのである。

時は流れて1970年代。日本独自のサブカルチャーが勃興するこの時代になると、日本人のアイドルも続々と登場する。そのうちの一組が、1973年にシングル「あなたに夢中」でデビューしたキャンディーズだった。デビュー当初は鳴かず飛ばずであったこのグループは、1975年に「年下の男の子」のヒットで全国区の人気を獲得。スターになった。翌1976年、ハウス食品はククレカレーのコマーシャルにキャンディーズを起用する。有名な「おせちも良いけどカレーもね」というフレーズは、このコマーシャルで全国に広まったものである。かくして、ククレカレーはキャンディーズの人気に乗る形で躍進を遂げた。

1999年、バブル崩壊後の日本でハウス食品は、ククレカレーの実質的な廉価版にあたる咖喱屋カレーを発表。現在では咖喱屋カレーの方がククレカレーより売れているという。





 

ボンカレー
世界で最初のレトルトカレー

咖喱屋カレー
ククレカレーの(実質的な)廉価版