日本語 | English

■ 7月31日から8月30日にかけて、郷土料理をフィーチャーします







Atom_feed
アルファベットチョコレート
名糖産業のロングセラーは、質より量?

LINEで送る

こんにちは。今回のお題は、名古屋が誇る製菓会社(?)、名糖産業の代名詞的存在、「アルファベットチョコレート」です。1970年の発売開始以来、同社の看板として長く親しまれている定番商品。ちなみに名糖(メイトー)とは、名古屋精糖の略称です。

と言っても、そんなチョコレート知らないという方も多いかも知れませんね。別にアルファベットの形をしたチョコレートじゃありませんよ。そんなの作るのにコストがかかって(つまり価格が高水準になってしまって)仕方ないですからね。一口サイズの立方体(というか台形?)のチョコのてっぺんに、アルファベットが一文字、ランダムに彫られているチョコのことです。



アルファベットチョコレート
出典:名糖アルファベットチョコレート.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2013年9月16日)

さて、1970年というのは、どんな時代だったのでしょう。

昭和中期の経済成長にも陰りが見え始めた1970年。とは言え、実際の世間のムードは、そこまで暗くはなかったと思いますね。同年には大阪では万博が開催されたり、また前年にはアポロ11号が月に着陸したニュースがあったりと、まだ人々が留保なしに未来や宇宙に希望を持てた、まだ日本にそれなりの上昇志向やイノセンスがあった時代ではないかと思います。

では、当時の世に出ていたチョコレート商品はどんなものだったのか。

最もポピュラーだったのは板チョコです。たとえば明治製菓(当時)の「ミルクチョコレート」なんかは、大正時代から売り出されていたわけですし、松尾製菓(当時)の「チロルチョコ」も、当時は直方体の形(厳密には「三つ山タイプ」というらしいですが)で売られていました。

「チョコレート」と表記できない、いわゆる「準チョコレート」も多かった。たとえば、森永製菓の「チョコボール」(1969年発売)や「森永チョコフレーク」(1967年発売)などですね。別に準チョコレートを目の仇にしていたわけではないでしょうが、名糖産業としては、やはり「チョコレート」であることにこだわりたかったようです。かと言って、普通に板チョコを出したところで、先行組の後塵を拝することは必至。

そこで名糖産業が目を付けたのが一口サイズのチョコです。前年の1969年には明治製菓(当時)から「アポロチョコ」が出ていたり、また不二家からは「ルックチョコ」が1962年に出ていたりして、それぞれに人気を博していました。ただし、それらは個別包装がされていなかった(し現在もされていません)。そこで「個別包装した一口チョコ」を展開することにしたのです。

味は、本物の「チョコレート」にこだわったとのことですが、戦中戦後ならいざ知らず、1970年当時においてはそんなものは珍しくも何ともない。だからしばらくは、ヒットして軌道に乗るなどはなかったそうです。ではヒットのきっかけはと言いますと、1977年に300g入りのお徳用の大袋を出したことだそうです。つまり民衆が「アルファベットチョコレート」に求めていたのは、身も蓋もない言い方になりますが、質より量だったわけです(ちなみに現在のレギュラーパックの内容量は191g)。

そりゃそうですよね。アルファベットが一文字ずつランダムに施されている。だったら量的に多い方が、大勢が(たとえばアルファベットで名前を示すなどして)楽しめるというものです。



また1970年は、日本の総人口が1億人を突破した年でもあります。終戦時(1945年)には7千万人前後だったのが、25年でそこまで増え、さらにその後も着々と増えて行きました。今からは考えられませんが厚生省(当時)が人口抑制政策を進めていた時代なのです。つまり「質より量」が求められたのは、市場原理としては当然至極だったのです。

ちなみに「アルファベットチョコレート」の生産数は現在、年間約1200万パックほどだそうです。今は人口減の時代ですから、お世辞にも「質より量」が世間で求められているとは言えません。とすると逆風の中で、この生産量は健闘していると見るべきなのでしょうか。あるいは、この生産量が「アルファベットチョコレート」の「質」に対する評価なのかも知れませんね。

名糖産業株式会社




 

ロイズの生チョコレート
なめらかで美味しい(ただし要冷蔵)