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煮込みジンギスカン
道北の郷土料理と、その近未来について

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ジンギスカン。言うまでもなく、北海道の名物料理である。マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)を、野菜と一緒に(ジンギスカン用の)鉄板の上で焼いて、タレにつけて食べる。それがジンギスカンで、岩手や長野にも同じような料理はあると聞くが、やはり一般には「北海道名物」であろう。

個人的な話をすれば、私も以前、北海道旅行の帰りに、空港内のレストランでジンギスカンを食べたことがある。美味しかった。最初は、一人で食べるには結構ヴォリューミーだなと思ったけれど、そんなに脂がしつこくない感じで、もりもり食べられた。また行きたいです。



新千歳空港 国内線ターミナル
File: New Chitose Airport inside.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年3月22日)

しかし北海道は広いもので、道北の名寄市周辺では、煮込みジンギスカンなるご当地料理がある。文字通り、通常は羊の肉を焼くところを、タレで煮込む。しゃぶしゃぶ寄りというべきか。そうなると、鉄板料理というより鍋料理かなという気もする。



煮込みジンギスカン
File: 名寄市の煮込みジンギスカン.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2019年12月27日)

で、こう言ってはナンだけれど、ジンギスカンにそんなに長い歴史はない。

そもそも、北海道に「羊の肉を食う」という習慣が根付いたのは、二十世紀に入ってからのことである。二十世紀初頭、日本は日露戦争に勝った近代国家であり、現在のようにアメリカに隷属するなどもない主権国家として、アジアに浮かんでいた。そこでは元老の一人・山縣有朋をトップとする陸軍が幅を利かせていて、北海道は軍や警察、鉄道員の制服に用いる羊毛(ウール)を自給するための土地として利用された。つまり、当時の北海道では、大量の羊が飼育されていたのである。

羊は大量にいて、しかし羊が食えるのか、食えるとしたらどうやって食べればいいのか、それが分からなかった。インターネットはもちろん、テレビや電話だってない時代である。羊肉の調理方法は、さまざまなところで研究された。ジンギスカン自体は、中国料理の一種から着想されたというが、それにしても現代ほど急速に普及することはなかった。北海道内にジンギスカンを出す店ができたのは、敗戦の翌年、一九四六年のことである。

戦後、北海道内では「ジンギスカンを食す」が広まった。その過程で、道北の一部では「煮込んで食べる式」が定着したのであろう。それが煮込みジンギスカンの発祥ではないかと愚考する。

さて、北海道内で「ジンギスカンを食す」が普遍するのはいい。しかし戦後は人口増の時代である。そうなると、道内の人口に対して羊肉の供給量が合わなくなる。そういうことも起きてしまうのである。

山縣有朋が物故し、昭和が始まった一九二〇年代、北海道の人口は二五〇万人以下だった。敗戦の年(一九四五年)には約三五二万人。それが、二十世紀が終わる二〇〇〇年には約五六八万人にまで増える。二十世紀後半の日本は人口増の時代で、北海道もその例に漏れずであった。ではそのぶん羊の飼育頭数が増えるかというと、そうでもなくて、むしろ頭数は減った。

なぜか? 理由はいろいろあった。羊肉の輸入が一九六二年に自由化されたとか、繊維の主流が羊毛から安価な化学繊維に移ったとか、いろいろ。ともあれ羊はマイナーな家畜となり、今の日本では羊肉の自給率は一%にも満たない。北海道でも、散見される家畜は牛や馬が大半で、羊は滅多に見当たらない。

だから勢い、ジンギスカン用の羊肉は、大半が輸入肉となる。煮込みジンギスカンとて事情は似たものでは、と推察する。

ジンギスカンは北海道のソウルフードだ。そういう人がいる。北海道出身の人が主宰する家庭では、クリスマスにはジンギスカンを食べる。そういう話も、聞いたことがある。それをどうこう言うつもりは毛頭ない。

ただ、最近では培養肉(人工肉)の技術の進歩が目覚ましい。二〇一三年、オランダで世界初の培養肉のビーフバーガーが開発された。このときハンバーグ肉は百グラムあたり、日本円で約三五〇〇万円もした。ところが今では百グラムあたり約二千円。近い将来にはもう少し値段が下がるはずで、そうなれば、食用肉のほとんどは、培養肉でまかなわれるだろう。そう予想する人もいる。そうなったとき、ジンギスカンを愛する道民の皆さんはどうするのだろうか。





 

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