森永製菓と森永乳業はどういった関係にあたるか。1917年、森永製菓が乳製品の自給自足体制を整えるべく、日本煉乳株式会社を設立した。この会社がその後何回か森永製菓に吸収合併されては分離されるというプロセスを経て、1949年に森永乳業として独立した次第である。
森永製菓と乳業。どちらがどうというわけではないし、報道が本当なら近々統合されるわけだから、どっちでもいいと思われるかもしれない。ただ、ものがアイスである場合、やはり森永「乳業」の方に一日の長があると思う。アイス事業に参入したのも森永乳業が先だったし。
そんな森永乳業のアイスの代表格といえば、やはり、イタリア語で「松ぼっくり」を意味する「ピノ」だろう。1976年に市場投下されて以来の、同社のロングセラー・アイスである。
1970年代も半ばに差し掛かるころとはどんな時代だったか。第一次東京五輪の成功(このときに土木工事費がかさみ、臨時的に赤字国債を発行したことが、日本がやがて借金大国に陥る引き金だったとかはあるけど)や万国博覧会の開催を経て、「右肩上がりの経済成長」という幻想を追い風に日本人が調子づいていった時代である。凄く単純に言えば、だけど。
そんな時代においては、資本主義の要請によって「個人の嗜好」が幅を利かせた。共同体、つまり家族や市町村の福利よりも個人の嗜好や利益が優先される(それでも社会が維持できる)ようになる。テレビなり電話なり、「家族に1台」より「個人に1台」の方が販売台数を稼げるのは自明の理だ。食料品から不動産まで、商品は皆しかりである。資本主義や経済はそれを求めたし、国民はそれに(暗黙裡に)応じた。個人の嗜好が幅を利かせたとは、そういったことだ。
そこでは消費者がわがままになり、いきおい市場におけるニーズは多様化したわけで、それに応じるアイスが求められたわけである。「ピノ」はそんなバックグラウンドから生み出された。
大人から子供まで、一口で食べられるアイスが欲しい。だから「ピノ」は口を開けたときの形や大きさがヒントになっている。アイスの形が崩れるのがイヤだ。だからチョコでコーティングしてある。アイスを食べるときに手が汚れるとかナンセンスだ。だからピックで食べる形式が採用されている。このように「ピノ」は見事なまでに消費者のわがままに応じ、人気を確立した。
それは少しも悪いことではない。しかし「ピノ」が生み出された背景は、当然だがもはや時代遅れとなっている。日本経済はもう成長しないし(するわけがない)、今の若い人はおおむね個人の利益より共生、共有、共存を重視している。たぶん彼らは道徳や倫理からそうしているのではない。そうしないと生き抜けないほどの窮乏が、彼らにはリアル至極なのだ。
そんな時代にあって「ピノ」はどういった存在意義を持てるだろう。「在りし日の化石」以上の意味や価値をどのように獲得できるだろう。森永乳業が製菓と統合しても「ピノ」は(急には)無くなりはしないだろうが、それらは課題として引き継がれ、残ってゆくはずだ。