日本語 | English

■ 一時休止いたします。







Atom_feed
おばあちゃんのぽたぽた焼
新潟の高齢女性のあり方を問う

LINEで送る

こんにちは。今回の主題は「おばあちゃんのぽたぽた焼」ですが、これは別に「私の祖母が自宅で作った焼き菓子」のことではありません。そもそも私の祖母は(母方も父方も)二〇一〇年代に泉下の客になりましたから、作りようがありません。そうではなくて、新潟の製菓会社=亀田製菓が一九八六年に発表したせんべいの商品名が「おばあちゃんのぽたぽた焼」なのです。

どんなお菓子かというと、砂糖やら醤油やらで味付けしたせんべいです。公式には「砂糖醤油蜜」を塗っているということらしいのですが、それが二枚ずつ個別包装されて、計十袋で一セットとなっています。つまり二十枚入り(二〇二三年時点)ということですね。

せんべいだから焼き菓子ではありますが、なにが「ぽたぽた」なのか? それはパッケージのイラストで説明されています。見ると、何やら機嫌の良さそうなお婆さんが、火鉢の焼かれているせんべいに液体(これがたぶん砂糖醤油蜜なんでしょう)をぽたぽたと垂らしています。亀田製菓がイラストレーターに「優しげな雰囲気のおばあちゃんが、火鉢の上のせんべいに、自家製の秘伝の砂糖醤油蜜をぽたぽた垂らす絵」をリクエストしたんでしょう。ちなみに二〇二三年八月、この「おばあちゃん」は発売から三十八年目にしてリニューアルされまして、現在のイラストは絵本作家のヨシタケシンスケ氏が描いたものになっています。


個別包装の袋には「おばあちゃんの知恵袋」という名目で、二十種類(二〇二三年時点)のトリヴィアが印刷されています。私が子供の頃は「生活の知恵」的な内容がここに記載されていた気がするんですが、亀田製菓には「この欄は時代に合わせねば」というオブセッションがあるのかもしれません、現在ではおばあちゃんが人工知能(AI)や英語について説くという、シュール至極なものになっています。

味はどうか? 最初に私が食べたのは子供の頃(ざっくり言えば平成前半ですね)だったと思うのですが、その時は美味しいと思いました。でも、そこから味や食感は何回も改変されています。実際、今年(二〇二三年)の一月にもリニューアルが施されたと聞きます。こういうのって困りますよね。同一商品であれば、できるだけ同じ味や材料で統一しておいてもらわないと、気に入った味がもう手に入らない羽目になってしまいます。だから、今の「ぽたぽた焼」がベストかというと、個人的には首をひねらざるを得ません。今の味を批評したところで、来年には改変されているかもしれないし。

あと、若干気になるんですけど、パッケージのようなお婆さんって、新潟には現存しているんですかね? そこがちょっと引っかかるのですが。

発売当初、つまり一九八六年時点においては、こういう「おばあちゃん」は、確かにいたかもしれません。世代で言えば「戦前派」でしょう。一九八六年は敗戦から四十一年後ですから、戦中戦後の激動の時代を乗り切った戦前生まれの女性は当時、各地にまだ日常的にいたと思います。

戦中、あるいは戦後間もない頃は、ろくに食糧がありません。食糧は配給制でしか手に入らず、必然的に「贅沢=敵」になりました。農家なら自分達の農産物を食べられたでしょうが、現代のように食糧が流通していない以上、やはり食べられる物のヴァリエーションは限定的だったはずです。だからこそ、この世代には「ありものを使って自分達なりのやり方でお菓子を作る」という工夫が生まれてもおかしくありません。食べ物が流通していないのですから。日本屈指の米どころ新潟では、せんべいを含む米菓を自前のやり方で作る婦人が、珍しくなかったのかもしれません。



1945年7月に大空襲を被った仙台市

出典:Sendai after the 1945 air raid.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:1945年9月18日)


でも今では、戦後生まれの「おばあちゃん」も多くいます。今の六~七〇代は総じて戦後生まれの、いわゆる「戦争を知らない世代」で、彼らの大多数は、食べ物は消費によって手に入るものと信じている。私はそう思います。

戦後生まれにとって、戦中戦後の食糧難は「親や祖父母の昔話」でしかありません。彼らが育ち、物心がつく頃には、食べ物は世間に流通しているのが当然になっています。つまり「カネさえ出せば食べ物はいくらでも手に入る」で、この考え方は、今の六~七〇代に深く根付いているはずなのです。

その彼らは、自前でお菓子を作るでしょうか? 大方は作らないと思います。お菓子を食べたければ、スーパーやコンビニやデパ地下で買えばいい。老化や病気で身体がうまく動かないとかであれば、ネットで注文すればいい。消費ありき。そういう志向が強いのではないでしょうか(今の六~七〇代の多くが、お年玉や自転車やランドセルを贈るなど、カネを介してしか子孫と関係を構築できないのも無理はありません)。

お菓子を作るにしても、戦後生まれの作るお菓子は(おおむね)洋菓子になると思います。日本は戦争に敗けて、アメリカの属国になりました。だから戦後の日本家庭の食卓には、カレーライスやハンバーグ、スパゲティなど、洋食の波が大々的に押し寄せた。戦後世代とは、洋食を当たり前のものとして育った世代なのです。その彼らがお菓子を作るとなれば、十中八九、ケーキやチョコレート、クッキー、プリンなどの洋菓子になるのではないでしょうか。実際、せんべいやおかきを自宅で作る女性に、私は会ったことがありませんし。

もちろん、これは(私が暮らす)大阪北部に限った話かもしれません。新潟では、せんべいを自前で焼く婦人が遍在している可能性は十分あります。ただ、私にはうまく想像できないというだけです。そんな「おばあちゃん」、マジでいるんだろうか? と。





 

うまい棒
限界点をうろうろする駄菓子