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■ 2月29日から3月30日にかけて、文房具をフィーチャーいたします。







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讃岐うどん
「香川県民の魂であり伴侶」━━ホントに?

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讃岐うどん。それは香川県民の常用食であり、魂であり、伴侶である。かの地で讃岐うどんを知らない人は、おそらくいない。讃岐うどんがあらねば香川にあらじ。おそらく香川県では男女の諍いにおいて「私と仕事とどっちが大事なの」という修辞は用いられず、こう問うのではないか。「私とうどんとどっちが大事なの」。そして男は後者を答えに選び、キーッとなった女から冷や飯を食わされたりするのかも知れない。いや、知らないけど。

おそらく━━と思う。なんらかの事情で行政が(あるいは反社会勢力が)讃岐うどんの生産、流通、食用を全面的に禁じた場合、香川県で一揆が起こる蓋然性は極めて高い。散発的なゲリラ活動や暴動、ストライキが香川県内全域で展開され、治安や経済は悪化の一途を辿るであろう。やがて法律や貨幣はその価値を局所的に喪失し、ソ連が崩壊したときと同程度の地獄絵図が現出するかも知れない。



うどんといなり寿司(@観音寺市)
File: Kannonnji udon.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2005年4月11日)

与太話はこれくらいにして、真面目に話をしよう。

まず、うどんとはどんな料理か。小麦粉を練って作った(もちもちとした)太めの白い麺。それが(カツオやコンブ、煮干しなどからダシを取った)温かいスープに浸かっている。トッピングとして刻みネギやカマボコ、ゆで卵などを入れることがある。そういうホット・ミールである。冷やして食べる「冷やしうどん」もあるが、その説明は割愛する。ともあれ、讃岐うどんも、まぁそういう料理だと思って頂いて大過はないと思う。

「讃岐」は、香川県の旧称「讃岐国」から取ったもの。香川の人たちはそんなに昔からうどんを食っていたのか。それはわからない。かの地にいつ頃うどん食が根付いたのかは定かではないのである。明治時代にうどん屋が点在した記録は残っているが、今日のように「地域を代表する料理」ではなかった。そういうポジションに至ったのは、『日経ビジネス』(2003年1月27日号)に徴すると、1960年代より後だという。歴史的に見れば「讃岐うどん」というより「香川うどん」の方がしっくり来る所はある。

うどんと言えば小麦である。それなら香川は小麦の名産地なのか。たしかに、瀬戸内海に面した温暖な気候を利用しての二毛作が盛んな地域ではあった。しかしそれは昔の話である。最盛期には1万ヘクタールにも及んだ(小麦の)栽培面積も、今では数百ヘクタールがいい所だという。日本の他地域と同様、第二次、第三次産業の発展に伴い、農業を含む第一次産業は衰退していったのである。なんともはや。現在、讃岐うどんに用いる小麦は、オーストラリア産が主流とのこと。

それを取り上げてどうこう言うつもりはない。北海道ではジンギスカンが名物料理に揚げられるが、その羊肉とて、9割以上はニュージーランドやオーストラリアからの輸入肉である。今日、我々が帰属する社会とはそういうものなのであろう。望む望まずにはかかわらず。

「四国新聞」(2016年2月1日)によると、香川県民で、うどんを「週1回以上食べる」人の割合は90・5%、「まったく食べない」人は9・5%であり、最も多かったのは「週1回」(50・8%)だという。私は香川には縁もゆかりもない大阪の人間だが、うどんを週に1度は食べている。だから私見では、香川県民といってもそこまでうどんを「食べる」ことにこだわっているわけではないのではないかという気がする。上述の与太話は、あくまでも与太話なのである。





 

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