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■ 9月30日から10月30日にかけて、「郷土料理」をフィーチャーします。







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とらやの羊羹(ようかん)
京都から東京へ遷った老舗の羊羹

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とらやの羊羹。名前くらいは聞いたことがあるという人も多かろう。特に関東地方では有名なのではないかと思う。とらや(虎屋)の本社は東京にあるし、都内には直営店も数店舗ある。全国的に見ても、とらやの羊羹は「名菓」の一つと言って遜色がないはずである。


と、ここで私の記事を書く手は一ヶ月弱、止まってしまった。とらやは確かに有名どころである。ではそれをどういう風に紹介すればいいのか。それがピンとこなかった。

道は大きく分けて二つある。対象を「称える」か「難じる」かである。だが、どちらを選んでも茨の道に変わりはない。そこで私は悩んでしまった。思案投げ首おっとり刀。

「称える」は、こう言ってはナンだけれど、赤子の手をひねるよりたやすい。とらやは室町時代から続く製菓業者である。その歴史をこまごまと解説して、彼らの歩みの長さを(レトリックをあれこれ駆使して)大仰にヨイショして、文中に羊羹の製法を挿入すれば、それで責務は果たせる。文章上の瑕疵を除けば、さしあたり非難されることもなさそうな記事に仕上がるだろう。

ただし、そういう記事を第一の読者であるこの自分が読みたいか? と問われれば、今のところ「ノー」なのである。我ながら面倒くさい話だなとは思う。しかし、最低限の倫理として、自分が進んで読む気のしない記事を書くくらいなら書かない方がましだろう、と考えるからこれはもう仕方がない。ボツ。

「難じる」もハードな話である。というのも、私にはとらやを否定する動機がこれといって特にないからである。そりゃとらやの職場環境がどうだとか、企業としてのあれこれが難だとかはあるだろう。インサイダーの目で見れば難点はいくらでもあるよ、という人もいるかも知れない。でも私はとらやで働いたことがないし、潜入取材をするほど手間を掛けられるわけでもない。

第一、主題は「とらや」ではなく「とらやの羊羹」である。とらやという主体はともかく、プロダクト(羊羹)の難点となると、これはもうグルメ話に陥るよりほかなく、そんなもんやはり個人的には読みたくない。ブランド物を斜に構えた姿勢で見てあざけるというのも、好むところではないし。

長々とボヤキ話になってしまった。申し訳ない。本題に戻ろう。

とらやの羊羹は、私を含めた多くの庶民にとって、お世辞にも安価であるとは言いがたい(ですよね?)ものの、美味しいと思う。甘さにしても質感にしても、くどくないというか。お世話になった誰かへの進物としてもいいかも知れない。相手が甘い物を苦手としていなければの話だけど。


とらやが室町時代に創業したことは前述した。羊羹というお菓子が歴史に残る文献に出てくるのも、この室町時代である。平安時代までは、文化の担い手は王朝貴族や都に住む中流以上の人々に限られていた。市井の平民には、文化に手を出せるほどの余裕がなかったのである。しかし鎌倉時代以降、町民文化が台頭してきて、室町時代辺りにはそれが盛んになる。それで羊羹という新しいお菓子も、町のどこからかひょっこり出てきたのではなかろうか。

現在とらやの本社は東京にあるので、とらやは東京の会社とお思いの方も多かろう。しかし、とらやの創業は室町時代後期の京都である。朝廷のお膝元。後陽成天皇(一五八六~一六一一年在位)は豊臣政権から徳川政権への橋渡しを務めた天皇だが、とらやは後陽成院の代から御所の御用達になったという。いわば「皇室御用達」で、その後の明治二年、遷都の際に天皇にくっついて東京へと拠点を移したのだとか。

とらやがブランド化した要因は、御所御用達になったからだけではあるまい。東日本には、なぜか知らん、京都好きの人が多い印象がある。だから京都創業のとらやが東京ではブランドになったのではないか。そう邪推してしまう。

私は北大阪の生まれで、大阪の繁華街よりは京都の方が地理的に近いところで育った。そして京都には、老舗の和菓子屋がそこらに当たり前にある。それを「どうや、スゴいやろ」と威張るつもりもないが、とらやのブランド性や特別感が私に今一つピンとこないのは、もしかするとこの辺に由来するのかもな、と思った。





 

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