ホウトクは愛知県にある、主に学校で使うための机や椅子を製造販売している家具メーカー。同社は2010年に、アイリスオーヤマグループに買収されたため、現在同社の代表取締役、取締役には大山一族の人間が就いている。アイリスオーヤマは(大手商社の要領で)あちこちの企業を買収する形で事業拡大を図る会社であるが、ホウトクも彼らに呑まれた会社の一つにあたる。
ホウトク社外観
出典:Houtoku.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2009年1月7日)
ここでM&A(買収)の是非を問うたり、アイリスオーヤマの手法を評したりはしない。かつて愛知県で創業し、家具メーカーとして活動し続けてきたホウトクという会社は、2010年に買収され、現在はホウトクの冠だけを残し、買収先の子会社になっている。私が言うのは、ただそれだけである。
ホウトク社の歴史は、ある意味で、戦後に創設された日本企業の多くの歴史と重なる。ホウトクの創業は1953年。この年、愛知県名古屋市で金属加工の家具をつくるメーカーとして彼らは産声を上げた。そして創業から8年を経た1961年、学校で使う机や椅子の製造販売を開始する。その後、拠点を名古屋から同県小牧市に移転するなどがありつつ、それなりに学校向け家具を商い続けてきたホウトクは、2010年、アイリスオーヤマに買収された。
1953年に「金属加工を施した家具の作り手」として創立したホウトク社は1961年に「学校向け家具メーカー」に転身した。つまり、当時は学校用の机や椅子の需要が多分にあったのである。そこに参入すれば儲かると見込めばこそ、営利企業は転身をする。ではなぜそんな需要がそこにあったのか?
1947年から数年の間に生まれた世代を「団塊の世代」という。この数年は20世紀の日本を通史的に見ても、とにかく出生数が多かった。1945年に終戦を迎え、人々はやっと安心して子作りに励めたのである。だからだろう、この「団塊の世代」はアメリカにもあって、当地では「ベビー・ブーマーズ」と呼ばれたりもする。
数が多いということは、それだけで「マス」であり、一つの経済圏を形成しているということである。だから1947年以降の日本では、団塊の世代に連動する形でマーケットが作られていく。
団塊の世代は50年代に小学校に入学し、60年代に中学生になる。この頃、急速に増えた人口に対応すべく、電鉄会社は「団地」と呼ばれる集合住宅を急ピッチで郊外に増設し、新しくそこに住む住民のために、鉄道やバスを大々的に通した。郊外の住民の食生活を担うべく、1957年に関西の一角で「主婦の店」ダイエー1号店がオープンしたのを皮切りに、やがて「小売業の雄」となるスーパーマーケットが各地で乱立。急増した家庭をターゲットに週刊誌や少年誌は創刊ラッシュで、かくして戦後の「都市と文化」は確立される。
ホウトクが1961年に「学校向け家具メーカー」に転身したのも、この団塊の世代の推移と無縁ではあるまい。この時代、何もしなくても子供はわんさかいた。増え過ぎた子供のために、あるいは交通網の発展により、各地に学校が次々に新設、開校される。それらに机や椅子を真っ当に納めていれば、よもや食いはぐれはすまい。それは火を見るより明らかだったはずである。
団塊の世代とて歳をとる。だから彼らが30代後半になる80年代半ばには、バブル景気も始まる。40歳前後ともなれば、多くはそれなりに家庭を築き、同時に自分や親の「終の棲家」を考え始める。つまりは「不動産が本格的に問題になる」で、団塊の世代が集団的にそうなるタイミングであればこそ、この時代に地価高騰は激化し、バブル景気は生じたのである。
1971年から数年の間に生まれた人達を「団塊ジュニア」と呼ぶ。彼らは、団塊の世代の子供世代に相当し、団塊の世代には及ばないものの、それなりのマスを形成した。団塊の世代が担ったマーケットは彼らに受け継がれ、しかし学校はいずれ卒業するものである。団塊の世代も団塊ジュニア世代も卒業した後、子供達はゆっくりと少なくなり、それに伴い、大多数の学校で定員割れ、学級の縮小が起こる。「学校向け家具メーカー」とてジリ貧にもなろう。
21世紀に入り、国内で人口減少がいよいよ顕著になる頃、団塊の世代は社会から続々とリタイアする。それが2010年前後で、まさにその2010年にホウトクはアイリスオーヤマに呑まれたのである。現今、団塊の世代の多くは年金生活者であり、ホウトクは親会社なしには成立しない。ホウトク社は団塊の世代と運命を共にした━━彼らの社史が語るのはそれであろう。