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洛中髙岡屋の座布団
「20世紀の名残」かも知れないもの

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あなたは1919年の関西を覚えていますか? たぶん「覚えている」と答える人はほとんどいないと思います。2020年の現在からすれば101年前ですから、99%の人は生まれていないはずです。自分がこの世にいないのだから、「覚えている」もへったくれもない。

とはいえ、今回のお題は「洛中髙岡屋の座布団」です。「洛中髙岡屋」はブランド名で、これを創設したのは、1919年に創業した「大丸京都店の寝具加工所」を原点とする株式会社髙岡(1961年設立)です。何事につけ原点を知ることは肝要で、それゆえに、まずは1919年を語る所から話は始まるのです。




前年にあたる1918年、この年の11月11日に第一次世界大戦が終結します。この第一次大戦は、平たく言えば「ヨーロッパから皇帝(王様)を追放した戦争」です。それまでは皇帝達の天下だったのですが、時代の趨勢は彼らに「王政や帝政はもう時代遅れだ」と告げ、歴史からの退場を迫りました。第一次大戦に敗けたドイツやオーストリアは共和国になり、ロシアは革命を経て社会主義国になります。

けれど民衆のマインドは「王政や帝政は終わったって言うけど、じゃあ『次』の政治体制がどんなのかとなると、よく分かんないな」でした。だからドイツにはヒットラー、ソ連にはスターリンという独裁者がやがて生まれます。彼らは、皇帝や王様を追放したけどその後どうしていいか分からない民衆が暫定的に頂いた「王様の代わりである指導者」だったのです。

と、第一次大戦について簡単に説明しましたが、じゃあこれが日本とどういう関係があるのか? 一般には、第一次大戦は「ヨーロッパの戦争」で、日本はあまり関係がないように思われているかも知れません。でも存外そうではないのです。当時の日本は「第一次大戦のお蔭で好景気になった」のです。

ヨーロッパ全土で戦争を繰り広げたのが第一次世界大戦です。ということは、当時ヨーロッパの市場だったアジアは空洞化します。ヨーロッパが戦争やら政治体制のアップデートやらで忙しいからです。その隙を突いて、日本はアジア市場に輸出を伸ばします。これがいわゆる「大戦景気に賑わう」を日本にもたらしました。また同時期、日本は同じく大戦景気を謳歌するアメリカにも輸出を盛んにします。

輸出の中心は繊維品で、この時代に「繊維の工業化」は確立されました。その結果、日本人の働き口は増え、全体的に収入もアップ。巷には「繊維成り金」が散見されたと言います。

繊維品や工業品の輸出先は、主にアジアです。当時、飛行機などはありませんから━━ライト兄弟が最初にガソリン・エンジン付きの飛行機を飛ばしたのは1903年です━━、輸出の手段は船です。それで、アジアにより近い関西が栄えました。当時の関西は、「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、産業都市としては東京府を凌駕していたのです。

つまり1919年の関西は、繊維業が発達し、好景気に沸いていた。当然、大丸京都店(大丸呉服店)も好況でした。民衆の収入が全体的に上がったので、町の景気も自ずと良くなったのです。その波に乗って、同年、髙岡商店が大丸京都店の寝具加工所として創立する。それが株式会社髙岡の始まりだったわけですね。

まぁこの「大戦景気」も、翌1920年3月に株価が大暴落して、あっけなく終わり、いわゆる「戦後恐慌」に見舞われるんですけどね。

さて、髙岡商店(株式会社髙岡)に話を戻しますと、同店が創業したのは関西で「繊維の工業化」が確立された時代だと先述しました。工業というと「機械で大量生産」的なイメージがあるかも知れませんが、世の中には「手工業」という種類の工業もあります。

1999年、いろいろあった20世紀が終わろうとする時分、株式会社髙岡は自社ブランド「洛中髙岡屋」を立ち上げました。そのブランドの中心アイテムは「ゆっくりくつろげる座布団」で、セールス・ポイントは「職人の手作り」なのだとか。




洛中髙岡屋





 

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挑戦を続ける、木の職人のブランド

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どこを取っても岩手産、みたいなもの