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近江神宮
滋賀県大津市にて、天智天皇を祭る

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神社に多少なりとも興味を持った者なら、おそらく誰しも一度はこんな疑問を持ったことがあるのではなかろうか。神社と神宮はどう違うのか。シンプルに言えば、神様を祭るのが神社で、天皇や皇族関係者を祭るのが神宮にあたる。だからして神宮の方が、往々にして神社より「政治的」な色合いを持つことになる。これは仕方がない。たとえば、政治的な理由から明治天皇を唾棄する人が(明治天皇を祭る)明治神宮や北海道神宮に足を運ぶことは、そうそうないであろう。もちろん、それは個人の思想信条の自由である。

さて、滋賀県大津市にある近江神宮の場合はどうかと考えてみる。少なくとも祭神に関しては、さほど「政治的」な色合いはないのではなかろうか。なにせ祭られているのは天智天皇であるからして。



近江神宮 外拝殿
出典:Omi-jingu07n4592.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年9月4日)

だれだよ、それ。おおかたの人は、たぶんそう訊ねるんじゃなかろうか。ともすれば滋賀県にお住まいの人、あるいは滋賀県出身の人ですら、天智天皇とは何者か、うまく説明できない場合があるかもしれない。

そのことを悪く言うつもりは毛頭ない。ただ、それくらい天智天皇は、実際的にも、政治的にも、現代を生きる我々の身近にあるとは言えないのではないかということである。

そんなわけで、一応、天智天皇について触れておく。天智天皇は7世紀に存在した、第38代天皇である。一般的には「中大兄皇子なかのおおえのおうじ」という名の方が、世に知られているのではないかと愚考する。藤原鎌足と共謀して、いわゆる「大化の改新」をおこなった人物である。「大化の改新」とは何か。それまでの政治は豪族を中心にしたシステムだったけど、これからは天皇を中心にしようぜ、という行政改革のことである。その折、日本で初めて元号が用いられた。日本で最初の元号が「大化」。これが「大化の改新」と呼ばれる所以である。

ああ、そういえばそういうの、歴史の授業でなんか聞いたことあるなぁ。それくらいの反応が、たぶん平均的なところではないかと思う。歴史に明るい人は天智天皇と聞いてぱっと思いつくのかもしれないが、いずれにせよ、歴史にその名を刻んだとはいえ、千年以上も前にこの世を去った天皇に親近感を持てという方がどだい無理な話であろう。



近江神宮 楼門
出典:Omi-jingu02n4592.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2010年9月4日)

もっとも、この神宮の創建に関しては、その不自然なタイミングから、政治的なところを疑われても仕方ないかなと愚考する。というのもこの近江神宮、別に天智天皇が造営したわけではないし、彼の崩御を惜しんで当時の人たちが創建したわけでもない。創建はずっと後、1940年のことだからである。

1940年と言えば、第二次世界大戦のまっただなかである。この年、ドイツ軍がルーマニアやデンマークに侵攻し(同年、デンマークは降伏)、イギリスはアイスランドに侵攻した。日本も、中国を空襲したり、8月には立憲民政党が解散して実質的な意味合いで議会制民主主義が消えたりと、とにかく戦争、戦争、戦争、という時代である。東京では食堂などで米食が禁止され、内閣が「贅沢は敵だ!」と喧伝した時代である。

そんな非常事態のまっただなかにおいて、昭和天皇の「御聴許」を得て神宮が創建されたわけである。戦後の人間からすれば、神宮なんか造っとる場合か、という気がする。たぶん日本中が戦争への熱に浮かれていた頃であろう(冷静な人もいたと思うけど、そんな人の意見は黙殺されたと思う)。つまり天皇崇拝主義が幅を利かせていた。その狂騒と傾向を利用して、天皇を中心とする政治を推し進めた天智天皇を「神」と位置づける近江神宮を造営し、政治的利益を得た者がいなかったと果たして言い切れるのか否かである。

あくまでも個人的な疑義であり、邪推である。現今の近江神宮や参拝客、あるいはそこでの催し物についてどうこう言うものではないけれど。






 

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