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白石和紙
宮城県白石市で作られてきた和紙

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こんにちは皆さん。先般まで「杉原紙」「黒谷和紙」と関西ローカルな和紙が続いたから、というわけではないんですが、本日のお題は「白石和紙」です。東北は宮城県白石市で古くから作られてきた和紙です。

白石和紙とはどんな紙か。カジノキ(バラ目クワ科)の雌株を原料とし、作られる和紙です。このカジノキというのは、神道では「聖なる木」と目されているそうで、その繊維は長く、柔らかい。そのため白石和紙は、強度と耐久性に優れているそうです。だから日用品としてはもちろん、宗教行事などさまざまな用途に幅広く使われてきたのだとか。



大萩山から望む白石市街
出典:Shiroishi City.JPG
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2009年4月28日)

古くから、と書きましたが、白石の和紙が歴史上に確かに出現したとされるのは、江戸時代です。それ以前のことは霧の中です。と、こう書くと、東北在住のダイハードな方には嫌な顔をされるかもしれません。ふざけるな、もっと古くから製紙しとったわい、みたいにね。でも歴史的証拠がない。さしあたり、今のところ、タイム・マシンはないのです。だから「白石和紙は江戸時代には製紙されていた」としておきます。悪しからず。

この白石和紙も、他の和紙と同様、安価な洋紙の普及に圧されて、明治から大正にかけて衰退の一途をたどりました。ところが1931年、当時18歳の遠藤忠雄が「このまま白石和紙を絶やしてはならん」と一念発起。独学で製紙法を研究し、白石和紙を復興させました。リターン・オブ・白石和紙。遠藤は戦中、戦後の混乱期もなんとか乗り切り、1970年代には、白石和紙は東大寺の修二会用の紙として採用されるまでになりました。

とはいえ、白石和紙は、たとえば宮城県民全員に愛される和紙として繁栄したとか、そんなことはありません。だから製紙産業としてはニッチもニッチ。遠藤の紙工房でしか作っていなかったのですからね。その遠藤も、1997年に逝去。以降は、妻の(遠藤)まし子さんが事業を継承し、製紙を主導する形で白石和紙は細々と存続していました。でもそんな個人的営為は、長くは続きません。2015年、従業員の高齢化を理由に、まし子さんは紙工房を閉鎖しました。現在は市民グループや市がなんとか(白石和紙を)存続させているという状況です。



白石和紙の封筒
出典:Shiroishi washi envelope.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2013年3月29日)

「わからないな、それならなんでもっと早くから行政は支援しなかったんだ」と思われるかもしれません。でもそこにはそれなりの事情があるわけです。というのも、遠藤は生前、行政の支援を断っていたんだそうです。まし子さんにしても、白石和紙の製紙は「もともと農家の副業」と、ばっさり割り切っておられたのだとか。まぁそうですよね。冷たく聞こえるかもしれませんが、別に和紙がなくなっても誰が飢えるわけじゃなし。

第三者が訳知り顔で、「伝統」だとか「文化的価値」なんて口角泡を飛ばして言っても、それは空語にしかなりません。肝腎なのは、作り手と使い手がどうかということでしょう。

もしかしたら、「副業で白石和紙を作ってもいいかな」と思う若人が、この先出てくるかもしれません。第二の遠藤忠雄が白石に現出するかもしれないし、しないかもしれない。そこは判じません。そういう意味合いにおいては、白石和紙の本当の価値は、これから決まっていくと言えるでしょう。どうなるんでしょうか。

ではまた来週。





 

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