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■ 7月31日から8月30日にかけて、「エッセイ」をフィーチャーします。







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『ポップス歌手の耐えられない軽さ』
桑田佳祐だってヒトである

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2020年。事後的に見れば「コロナ禍」の1年だったと目される年だろう。とはいっても、その年の元旦から「コロナ禍」だったわけでもない。1月の時点ではマスコミは「新型肺炎」が中国の一部で流行していると伝えたのみで、日本人の大半は「またかよ、あの国もいろいろ大変だねぇ」と、悠長に構えていた。それが2月、3月と、国内で「新型ウイルス」の感染者が続々と発覚。言いようのない不安が日本を静かに領し、4月には緊急事態宣言が発令されるに至った。

その「まだ平和だった」年明けに、ちょっとしたニュースが飛び込んできた。サザンオールスターズのヴォーカリスト桑田佳祐が、『週刊文春』でエッセイの連載をスタートさせたのである。連載は翌2021年の5月6・13日合併号まで続き、同年10月にはそのエッセイをまとめた単行本『ポップス歌手の耐えられない軽さ』が文藝春秋社より刊行された。

サザンオールスターズは、1978年にビクター音楽産業(当時)からデビューしたバンドであり、桑田佳祐はそのヴォーカルを務めてきた神奈川県茅ケ崎市出身のミュージシャンである。ソロ・デビューは1987年。現在30歳以上の日本人であれば(好き嫌いはそれぞれあるとして)サザンや桑田の曲を全く知らないということは、おそらくないだろう。それくらい大きな知名度を誇る「ポップス歌手」である。

個人的な話をすれば、私がサザンを初めて聴いたのは1996年の夏だった。当時12歳の中学1年生。親が買ったシングル「愛の言霊~スピリチュアル・メッセージ」を聴いて、率直に良い曲だなと思った。

閑話休題。

サザンでも桑田ソロでも、ほとんどの楽曲で彼は作詞を務めてきた。その歌詞が一部では人気を博したり、一部では騒動の火種になったりもした。しかし、彼が文筆家として雑誌に連載を持つなどは(私の知る限り)なかった。私が初めて桑田の叙述に接したのは、2005年発売のサザンのスタジオ・アルバム『キラーストリート』に付いていたライナー・ノーツだった。

『キラーストリート』は2枚組30曲という大作で、その1曲1曲について、桑田が文章で解説をしていた。それが好評だったのか、それ以降いくつかの作品について桑田が随筆的に解説を書くなどが断続的に続いた。おそらくそれが今回のエッセイ連載に繋がったのだろうと思う。

それは「桑田が文才を開花させた」なのか? 私には分からない。文章なんて国語運用能力がそれなりに備わっていれば、誰でも書けるといえば書けるもので、そう思えば文才を量るというのは結構な難事である。そもそも、作詞家に求められる文芸的センスは、小説家やエッセイストに求められるそれとは多少異なるような気が(個人的には)する。昭和末期に作詞家として名を馳せた松本隆だって、小説家としては「ちょっとなぁ」であったわけだし。

ただ、私は本書で、全66章それぞれのコンテンツ(書かれている内容)を、ゆっくりと味わうように楽しんだ。それは間違いない所である。

前述のように、桑田のエッセイ連載期間は、日本が「コロナ禍」へと突入し、その渦中で皆が右往左往せざるを得なかった時期と重なる。そこで桑田佳祐は1人の人間としてどうしていたのか? それが赤裸々に綴られていて、一面識もない彼という人間を、存外、身近に感じた。

年末に「ひとり焼肉」をしながら、ドラマ『孤独のグルメ』に影響されて実況してしまう桑田佳祐。学生時代、クルマで送って行った年上の女性との会話を思い出し、面映ゆい様子の桑田佳祐。自身が主宰するラジオ番組にゲストとして訪れた松田優作に、ひたすら緊張しまくる桑田佳祐。これらの叙述を通し、桑田佳祐という人間が、いくばくか近しく感じられたのである。

ひときわ強く印象に残った章を挙げるとすれば、「東京のミュージシャンには敵わない!?」であろうか。ここ何年か、やたらと「シティ・ポップ」が持て囃されている印象があるが、桑田によると、シティ・ポップは「都会派」で、自分達サザンは「地方色が強」いらしい。へぇ、そうなんだ、と思った。そう言われてみれば確かに、サザンをシティ・ポップにカテゴライズする人って、見たことがない。妙に納得しながら楽しく拝読した次第である。

作品情報

・作者:桑田佳祐
・発行:文藝春秋





 

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