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日本の本
ジュンク堂書店難波店 店長

福嶋 聡

< 2018年06月29日 >

哲学というと、どうしても「いろいろ考える」、場合によっては「単純なことをわざと難しく考える」ものと思われ、現代ではあまり重宝されない傾向にあります。そういった傾向自体はともかく、この「考える」という動詞の語源はと言いますと、「かむがふ」。「か(彼、処)」に「むかふ(向かう)」ことだとされています。向き合うことが考えるということの本質なのですね。

いきなり何の講釈か。今回インタビューにお付き合い頂いたのは、ジュンク堂書店難波店店長、福嶋聡さんです。同書店仙台店、池袋店などを経て、現在は難波店に勤める彼は、京大の哲学科の卒業生でもあり、その思索から書店論について何点もの本を著してもきました。来年、定年を迎えるという福嶋さん。彼は書店員として、何にどう向き合ってきたのでしょうか。




■ 本日は宜しくお願いいたします。福嶋さんは1982年にジュンク堂に入社されたと伺いました。まずはそのあたり、つまり入社された経緯や時代背景などからお聞かせ頂けたらと思います。

福嶋聡(以下、F):ぼくが入社したのが1982年、新卒で採用されたとかではないんです。大学は京都大学の文学部哲学科に在籍していましたけど━━大学の同窓生には辰巳琢郎(俳優)もいましたね━━、馬術や演劇ばかりやっていました(笑)。だから博士とか学者になるなんてのはまずありえなかったわけです。で、高校生の頃からやっていた劇団活動を学部卒業後も続けていたら、よく観に来てくれるお客さんにある書店の店長さんがおられて、その人がジュンク堂に「ちょっと使ってやってくれんか」と口利きしてくれたみたいです。それで面接を受けて、就職したというのが経緯になります。

ジュンク堂いうたら、今でこそこういう大型店舗が東京・大阪をはじめ全国にありますけど当時は違いました。前身の大同書房が「ジュンク堂」になったのが1976年。だからぼくが入ったときは、まだ6年目の若い会社やった。社長も確か、そのときはまだ32歳とか、そのへんでした。当時はちょうど、事業の拡張と言いますか、三宮のセンター街に、専門書を専らに扱う大型の店を造ろうかというタイミングやったんで、新たに人手が要るからと雇われたわけです(笑)。


■ 就職活動という感じはしませんね(笑)。


福嶋聡

1959年、兵庫県生まれ。
京都大学文学部哲学科を卒業後、
1982年、ジュンク堂書店入社。
同書店神戸店、京都店、
仙台店、池袋本店等での勤務を経て、
2009年より難波店店長を務める。
最近後悔していることは、
「若い頃にもっと古典(たとえば
『資本論』など)を読み込んで
おけば良かった」ことであるとか。

F:今みたいに就職ビジネス、いわゆる「就活」が、そもそも無かった時代です。それに演劇と書店というと縁遠いように思われるかもしれませんが、意外に親和性があるんです。だってそもそも役者がホン(台本)読んで覚えないと、芝居は成立しませんからね。役者やない演出とか美術、いわゆる裏方でも、当時の時代背景はどんなんやったとか、どういう服を着ていたとか、そういうのを知らないと話になりませんから、何かしら本を読むわけです。


■ 今って、失礼ながら書店や出版業は斜陽産業というイメージもあるかと思いますが、当時は‥‥‥。

F:当時はもう上昇気流、うなぎのぼりと言いますか、そんな感じでしたね。時代のムードも、今と違って、きっと未来はもっと良くなるんだという漠然とした希望みたいなものがありました。(書店業全体の)ピークは1996年で、あとはひたすら右肩下がりです。その当時は上がったり下がったりは多少あるやろなと構えていたんですが、今日に至るまで回復せず(笑)。下がる一方です。


■ 1996年といいますと‥‥‥。

F:わかりやすいですよね。ウィンドウズ95が爆発的に売れて、パソコンが普及した。そしたら書店の業績が下がった(笑)。真っ先に打撃を受けていたのは、百科事典に代表される調べもののための本でしたね。当時は百科事典が商材の核であった平凡社や小学館も、今では新しいものは出さず、書店にも置いていません。


■ そうなんですね。そういえば『イミダス』や『知恵蔵』なんかも、だいたい2000年代の半ばに廃刊になりましたね。

F:要するに電子媒体やネットの方が便利やというジャンルからどんどん移行していったんですね。地図がカーナビやグーグル・マップになったのが好例です。地図の出版社も軒並み潰れていきましたし、情報誌とかも速報性、つまり速度ではネットに勝てませんから、ぼくらが若い頃あれだけ買っていた『ぴあ』や、関西だと『エルマガ』なんかも、今はもう全部ネットに座を明け渡しています。