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日本のAV
AV男優
森林原人
< 2018年10月30日 >
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「難しい」というのが、AV男優、森林原人の現況を表すキーワードなのかも知れない。そう思った。彼は1999年にAV男優としてデビューし、今年でキャリア19年目を数える、いわば中堅からベテランの域に位置するAV男優である。以前インタビューさせて頂いた代々木忠監督が擁する「面接軍団」の一員でもあることから、その繋がりでインタビューをさせて頂いた。
包み隠さず言うと、当初、このインタビューは「師弟論」をテーマにする予定であった。鄙見ながら、他者を師と仰ぐ心性と、代々木監督が言う「良いセックス」ができるマインドセットには共通点があるのではないか。それなら彼の弟子である森林の語る師弟論をして、以前とは別の角度から、現在多くの日本人が抱えるセックスの問題にアプローチするインタビューができるのではないか。そう愚考したからである。が━━
■ 森林さんは代々木監督の弟子というわけではない、と?
森林原人(以下、M):そうですね。代々木さんの弟子であると自称したことはありません。僕だけじゃなくて、面接軍団に属する人はみんな「代々木さんの弟子だ」とは言わない。もちろん、僕にとっての師匠ではありますし、リスペクトもあるんですけど、師弟という間柄ではないんです。
■ なるほど。では、森林さんと代々木監督との間柄はのちほど伺わせて頂くとして、まずは森林さんの経歴を教えてください。
M:僕は10代、つまり中学、高校と筑波大学附属の駒場に通っていました。いわゆる進学校なんですけど、当時からAVが大好きだったんです。高1で初体験も済ませたし、AV業界に入るまでに、恋人関係になった女性でいうと3人、風俗も含めると50人以上との経験がありました。それでもAVが好きだった━━AV女優で言うと桜樹ルイさんとか秋山美冴さんとかがいた時代。あとは伊藤真紀さんとか好きでしたねぇ━━。バイト代やお年玉も全部エロに投資していたという青春時代です。
それで一浪して大学に入ったんですけど、馴染めなかったんですね。志望校に行けなくて屈折したのと、エロへの欲望が抑えきれなかったのがあいまって、雑誌にあったAV男優の面接に片っ端から応募したんです。そして一社だけ、V&Rという会社が目を留めてくれて、面談、デビューと。
筑波大学附属駒場中学校・高等学校
出典:Tsukubadai Komaba.jpg
from the Japanese Wikipedia
(撮影:2006年9月5日)
■ ひとつ疑問なんですが、AV男優というのは、一作品でもAVに男優として携われば、名乗れるものなんですか? つまり全くの端役、たとえば画面に顔が映らないで射精するだけの人でもそう名乗れるのか。どういう定義なんやろかと思いまして。
M:難しいですね。自称ですから。たとえば国家試験があって、それに通ればなれるとかいったものじゃありませんからね。だから男優の仲間内でも、いろいろあります。「確かに出演料としてギャラを稼いでいるかも知れないけど、俺はあいつをまだ男優とは認めない」とか。AV男優としてプライドを持って仕事に臨んでいる人がAV男優なのかなと思いますけど。
■ なるほど。
M:僕の話に戻りますと、駆け出しの頃は桜井ちんたろうさんという、男優兼監督もやられた方の下でAD(アシスタント・ディレクター)をやったりもしました。男優は撮影現場の全体を見渡せないけど、ADなら現場の全体が見渡せるからということで勉強をさせて頂いた。厳しいこともいっぱい言われて、今で言うブラックだったのかも知れないけど(笑)、それでも現場でAV女優が服を脱ぐ所とかが見られる、男優なら彼女達とからめる、それがほんっとうに、凄く嬉しかった。どんな苦しみもエロに携われる嬉しさで帳消しになるんです。一回一回の射精、一つひとつのオマンコに救われたと言うか。
■ 本当にエロと言うかAVがお好きだったんですね。
M:そうですね。だからある意味、ご本人達には失礼ですけど「AV女優」という記号的なものに反応していた所があります。変な話、実際にすぐ近くで、女優が脱いでいる所を見るより━━それも十分嬉しいんですけど━━、それを映したモニターを見る方が興奮したんです。当然モザイクがかかる前、無修正の状態です。それを見て、うわぁ~と興奮していた。
■ 極言すれば、AVという観念ありきで興奮されていた?
M:という所はあると思います。そうして経験を積んで、ぼちぼち「AV男優の仕事ってこういうことだろ」というのがわかった気になった、天狗になりかけた頃に、代々木監督と初めてお会いするわけです。僕のキャリアで言うと、4年目ですね。