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■ 3月31日から4月29日にかけて、時計をフィーチャーいたします。







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O: 日本にはなかったからです。もし日本にそういう(ジョン・ロブのような)所があれば、わざわざ地球の裏側まで行かなくても良かった(笑)。靴文化が日本はあまりにも遅いな、っていうのもありましたし。発展途上の所で何か立ち上げたりするのは、すごい大変なんですけれども、好きですね。


■ イギリスだとシステムが出来上がってガチガチな感じだったんですか?

O: そんなじゃないですけども、狭い世界なんで・・・みんな家族みたいになるんですね。職人同士が何十年も毎日いっしょにいて、底付けの人とアッパーの人とチーム組むだとか、組むにしてもどれがベスト・コンビだとか、もう決まっていて、だいたい同じメンツと靴を作り続けるので、そんな刺激的ではなくなっていた、っていう(笑)。


■ 良くも悪くもルーティンが・・・

O: そうですね。


■ 日本に戻られて、東京の世田谷でやっていこう、となったのは?


O: 実家に住んでるので、実家からなるべく近い大きい駅、ということで・・・(「ベンチ・メイド」は小田原線「成城学園前」駅から徒歩で1、2分のビルにある)あたしの仕事量が多いので、子供の面倒を見てもらわないと・・・


■ 保守的な話になりますけど、生活していこうと思えば、イギリスで就職してそこに居続けるっていう方が無難じゃないですか。何かを立ち上げる面白さっていうのはあるにしても、大抵の日本人は不安が勝るわけで・・・

O: その不安が良いんじゃないですか(笑)。リスクのない人生なんて面白くないですね。せっかく生きているのに、淡々と生きていても面白くないじゃないですか。だから人がやってないことをやってみたいし、近道よりは遠回りを行きたいです。


■ 好奇心というか、鼓動の高鳴る方向へ進まれた、っていう感じですか?

O: そうですね、イギリスに行ったのもそうです。したいと思ったらします。失敗したこともありますけど、軸となる「したいこと」っていうのは、やれていますね。最初はイギリスで靴の職人になりたい、ってガチガチに思っていたんですけど、そういうのって手に入ると・・・五年後くらいになると、自分の手に入ったものは、思ったより小さいものだったんだと思いますよね。じゃあ次は何しよう、と。


■ で、次は発展途上である日本で、ご自身の培ったモノを、と。帰国後、まず靴作りの教室を開かれたわけですが・・・

O: 自分にどれくらい力があるのかっていう験(ため)しでもありますよね。資金稼ぎで始めたんですけど(笑)。日本に帰って靴の教室を開いた時は、生徒は三十人ほど集まりました。靴の教室って幾つかありましたけど、やはりハンドソーンをちゃんと習える所がなかったのと、あとイギリス式っていうのが、マニアックな人達に受けたのかな。帰ってきた時は、「え?靴ってイギリスじゃなくてイタリアでしょ?」って云われることの方が多かったですし。


■ 靴作りに関して色々やられた中で、例えばデザインに走る、などの選択肢はなかったんですか?

O: ああ、あたしデザインには自信があるんです。学生の頃、結構デザインの賞は片っ端から取ってまして。ちょっと賞金稼ぎみたいなことを(笑)。で、もう自分は出来る、という分野は挑む必要がないなって。靴は履き心地が大事で、それにデザインが寄与する範囲って本当に狭いので、面白くないですよね。デザインって平面の世界だけど、靴は立体の世界で奥行きもあるので・・・


■ 女性モノとかだと、デザインに関して云われることとか多いかと思ったのですけど・・・

O: レディースの場合は、だいたい外反母趾の方をメインにデザインさせて頂いていますね。外反母趾だと足がとても醜く見えるんですけれども、そこをカヴァーしつつ、外反母趾がそれ以上悪化しないように、靭帯しぼった所を工夫したりしてデザインしてますんで・・・靴のデザインとはまた(ポイントが)かなり違います。


■ 成るほど。大川さんが体得された「ビスポークの精神」についてなんですが、イギリスでのビスポーク文化って、悠久的な伝統があるわけですが、日本に帰国されて、教室を開いたりブランドを立ち上げたりされて来た中で、日本でその精神はどのような展開を見せてきたのか、お聞かせください。