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日本のポップス
フリー・ディレクター
竹内修
< 2014年12月24日 >
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'90年代半ばより現在に至るまで、日本のポップスの世界において、性別や世代を超えて支持され続けるロック・バンド、スピッツ。彼らの10作目にあたるオリジナル・アルバム『三日月ロック』の紹介記事の中に、デビュー当時からディレクターとして彼らに関わり続けている竹内修氏の発言の一部を、抜粋・要約する形で挿入した。ここではその拡張版として、竹内氏へのインタビューを3ページにわたり掲載する。ディレクター、あるいはプロデューサーとして、四半世紀もの間、ポップ・ミュージックの制作に携わり続けた男の表層と深意へ、潜り込む。
なお、写真が一切ないのは、当方の都合によるもので、氏に起因するものではないことを、あらかじめ断っておく。
■ 宜しくお願いします。まずは、竹内さんがポリドール(現・ユニバーサル ミュージック)のディレクターになられた経緯からお伺いします。
竹内修(以下、T): (ポリドールに入社する前は)占い師をしたり、音楽雑誌で音楽ライターの真似事をしたりしていました。その音楽雑誌の付き合いの中で、その編集長も僕が音楽の制作に興味があるのを知っていましたから、彼から「ポリドールのディレクターがアシスタントを探しているから、気が向いたら面接に行ってみないか」という提案をもらって、それで面接に行って採用となりました。それが1989年です。
■ 失礼なお話ですが、音楽制作のディレクターというものが具体的にどういう内容のお仕事なのか、一般の方にはピンと来ないと思うんです。ここで竹内さんからご説明をお願いします。
T: ディレクターというのは定型がないです。だから分かりにくいんですね。アメリカとかイギリスでは音楽制作においてディレクターという職業はなく、あるとしたらアーティスト&レパートワ(A&R)という言い方ですね。こういう歌手がいて、こういう曲があって、それを結びつける仕事がA&Rなんです。だから昔の歌謡曲の世界でディレクターと呼ばれた人達は、A&Rという呼称が正しい。
■ その歌手に最適と思われる楽曲の発掘や制作をする、という・・・
T: 映画の世界のプロデューサーが音楽の世界ではディレクターであり、映画のディレクターは音楽のプロデューサー、と思ってもらったら分かりやすいですね。映画のディレクターは監督ですが、音楽のディレクターは(音楽制作において)全体を取りまとめるという仕事ですから、映画のプロデューサーに近いんです。音楽の世界でプロデューサーというのは、基本的にはアレンジャー(編曲家)も兼ねたサウンド・プロデューサーを指すことが多い。バンドだったらバンドと一緒にアレンジをして、録音現場を取り仕切り、歌まで録ってミックスもチェックする、それがプロデューサーの仕事。
■ そういう感じですよね。
T: で、ディレクターは更にそれを俯瞰で眺めます。曲作りのスタートや次のアルバムの方向性、アーティストの見せ方みたいなことを考えた上で、曲を作ったり集めたり、プロデューサーの選考をしたり、レコーディング・セッションをつつがなく進行させて予算を管理する、これがディレクターの仕事です。音だけではなく、ヴィジュアル回りも含めて携わることが多いですね。
■ 竹内さんはフリーランスのディレクターなんですよね?
T: はい。フリーのディレクターというのは相当特殊なお話で、ディレクターはレコード会社に帰属するのがほとんどだと思います。僕の場合、レコード・メーカーのディレクターをやっていた、その延長線上でのことです。2000年に(ポリドールを吸収・合併した)ユニバーサルを退社して、2001年の暮れにドリーミュージックに入社したんですけど、2006年に辞めました。
T: ずっとジレンマがあったんですよ。メーカーでディレクターをやっていて、アーティストと一緒になって音を作って、売れたアーティストは良いけど、売れなかった人は契約が2~3年で終了して「お疲れ様」となる。でも僕は、異動とかはあるかも知れませんけど、契約も切られずに社員としてノホホンとしているわけです。「それはどうなんだろう。アーティストに、音楽にちゃんと向き合っているのか? 僕の言葉は、アーティストに対して説得力を持てているのか?」という自問自答が、キャリアの当初からあったんです。