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■ 8月31日から9月29日にかけて、ビールをフィーチャーします







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■ 竹内さんは1963年生まれですが、幼少期の音楽体験について。

T: 意識的に音楽を聴くようになったのは、小学校五年生の時です。日本のフォークですね。井上陽水、かぐや姫がスタートです。井上陽水の『氷の世界』が100万枚売れた頃ですね、そこから、ニュー・ミュージックと呼ばれるような音楽が周りでは流行りましたけど、僕は古い方にどんどん興味を持ちまして、吉田拓郎、岡林信康、高田渡、そしてはっぴいえんど等をよく聴いていました。邦楽一辺倒というのではなくて、兄が洋楽を聴いていたので、洋楽も聴いていました。ザ・ビートルズとか、リアル・タイムでいうとキッス、ビリー・ジョエル、その辺りは聴いていましたね。


■ 邦楽と洋楽の両輪だった、と。

T: 高校二年の頃、大滝詠一さん(元はっぴいえんど)の『ア・ロング・バケイション』(1981年)というアルバムが出て、それに衝撃を受けまして。元々はっぴいえんどは聴いていたけど、大滝さんがこういう人だったというのは全く知らなくて、凄く良かったんですね。それで日本よりも(大滝詠一の音楽的ルーツである)アメリカやイギリスのポップスにどんどんのめりこみました。


■ 大滝さんの分母の総決算とされている作品ですからね。お訊ねしたいな、と思ったのは、竹内さんが思う「日本のポップスの名盤、もしくは名曲」なんですが、そうすると『ア・ロング~』が?

T: いや、それはね、『ア・ロング~』ではないです。(長考の後)一曲だけということなら、唱歌なんですけど、「冬景色」ですね。作詞者も作曲者も不明なんですけど、あれは素晴らしいです。日本語とメロディの組み合わせというのが、「冬景色」という曲が一番です。もちろん、古いから良いというのではなくて(「冬景色」の初出は大正時代)。だって組み合わせというところで言ったら、「君が代」とか、滝廉太郎の「花」とかヒドいですよ。


T: ポップスというものをどう捉えるかにもよりますけど、日本のポップスの黄金期は1970年代の歌謡曲に見られると思います。歌手、作詞家、作曲家、編曲家、そしてディレクター、これらの分業がしっかりなされていました。だから完成度の高い作品が多いし素晴らしい。筒美京平さんや都倉俊一さん、馬飼野康二さんとかそれぞれの色を持っていて、歌手のことを考えて詞と曲を作っていた。例えば、麻丘めぐみが歌う曲を、ディレクター(A&R)の人がテーマを決めて発注し、作家達は彼女の声域やイメージを考慮して曲を作るだとか。今だと、1人の歌手がバラードを出すために候補を100曲ほど集める場合、その歌手のことを考えてない、「フツーにイイ曲」が上がってくるわけです。


■ だからミリオン・ヒットを多発した'90年代はおろか、'80年代よりもCDが売れない、なんていう時代になっているんでしょうか。

T: まぁ、今や(CDなどの)パッケージはお布施ですからね。そのアーティストのCDを持っていることに意味がある、という。


■ もちろん、そこには様々な要因があると思いますが、リスナーの購買意欲を促す良質な音楽や歌い手を、昔ほど届けられていない、という点で、音楽ディレクターと呼ばれる人達の能力が乏しくなってきていることも一因ではあるのかな、と思うのですが。

T: 今はディレクターという名前だけは残っているけど、そう呼べる人達がレコード会社にはほとんどいなくなってきています。事務所がアーティストをコントロールして曲作りも出来るのであれば、サウンド・プロデューサーがいればディレクターは不在でも良い、と。殊にここ10年くらいで、そういう傾向は強まってきています。だから音楽には全く口を出さない「ディレクター」も多いです。


■ 良くも悪くも、歌手や事務所が主導している、と。

T: 僕なんかは凄くダメ出しをするので疎まれていると思いますけど、今、自作自演をする人に対して物を言える、ダメ出しを出来るディレクターというのは、ほとんどいません。結構野放し状態なんですよ。すると、アーティストに本当に才能があれば良いですけど、そうでないと悲惨な話になりますよね。僕の一番の仕事は、作る音楽のクオリティ・コントロールだと思っています。その方法論などはスピッツとの関わりから学習、吸収したものも多いですね。


インタビューと文: 三坂陽平